◇難波元町の史跡について
区長 難波八阪神社には毎日、多くのかたが訪れています。なにか思い出はありますか。
いがみさん 私は神社の獅子舞の獅子子 ししこで、今では巡行も午前中だけですが、昔は朝から、氏子の区域を中心に1日かけてまわっていました。難波から堺筋まで行き、千日前通りを行き、西は木津川までまわりました。高校生のころまで参加していたと思います。
写真提供 位上謙二さん
難波八阪神社のししこ。当時は、ししこだけでこれだけの人数がいました。
木村さん 綱引きの巡行でも巻き寿司やアイスクリームをもらったり。あちこちの接待所でいろいろなものをもらえるので、それを楽しみにしていました。
◇今と、これからのまちづくり
区長 難波元町の歴史についていろいろと伺ってきました。最後に、このまちのことを、どのようにとらえておられますか。
たけたちさん 難波元町は信仰心の篤い、結束力の強い、良いまちだと思います。自慢をしたいのは、この狭い元町には1社7カ寺があること 難波八阪神社と7つの浄土真宗仏光寺派の寺のこと。地域の人たちが相当努力しなくては、これだけのものを維持し続けることはできません。
いがみさん 戦後は、新しい人が入って来て、商売人が一代で店を起こして活気のある町になりました。以前は個人事業者の社長がたくさんいましたが、少子化やサラリーマン化が進んで、地域の組織を運営するのが難しくなったと感じます。それでも今、50歳前後で頑張ってくれる人たちがいるので、また良い時代が来ると期待しています。
木村さん 私はまちは生き物だと思っています。元町は一時、元町パチンコ村という地図があったくらい、鉄眼寺から八阪神社の南の正門までの間に、パチンコの機械をつくる会社・修理をする会社、椅子やのぼりを売る会社などパチンコ産業に携わる事業所がびっしり入っていました。
今はインバウンドのまちになり、外国人観光客がいっぱい来ます。やさか神社の前は門前町のようになり、飲食物を売る店や、貸衣装の店もあります。これからの元町がどこに行くのか危惧を感じますが、今はそんな状況も踏まえて、これからのまちの発展を考えることが大事かなと思っています。
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