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浪速区制100周年プレ企画 ルックバック なにわ区(2)

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大阪府大阪市浪速区 クリエイティブ・コモンズ

◆ついてしまった怖いまちのイメージ

区長 しかし、まちの様子も変わってくるんですね。

松本 芳夫さん 道頓堀にも映画館がたくさんできて、閉館を余儀なくされました。映画館のあとにはパチンコ屋がどんどんできていき、パチンコのまちになりました。

西上さん 戦後の高度経済成長期に、釜ヶ崎 今のあいりん地区の労働者が増えて、昭和45年 1970年大阪万博の時には1万2千人から1万4千人ほどが住んでいました。その労働者が新世界に飲み食いに来るようになり、昼間からパチンコをし、一般のお客さんにとっては近づきがたいまちになりました。一般の人が来ないから、通天閣の経営も厳しくなり通天閣は立っているけど、財務諸表を見たら、もう倒れてる。そんな時期もありました。

松本 芳夫さん 万博の頃はまだ良かったんです。労働者が来て新世界で遊んでくれはった。でも、労働者による暴動が起こって、新世界はだめになってしまいました。

西上さん 西成のパチンコ屋が投石でガラスが割られたりしていました。でも、暴動が起こるたびに通天閣が映されるんです。悪いイメージがつき新世界には人が来なくなってしまいました。

松本 芳夫さん 昭和62年 1987年の天王寺博覧会の時に、天王寺側からと動物園側からの入り口を作ったんですが、怖いまちだと言って客が来なくなり、動物園側の入り口付近の売店は、2から3か月で閉店してしまいました。

区長 新世界にとって厳しい時代が続いたんですね。日中、まちを歩く人の姿も大変少なくなったと聞いています。そんな中、市電天王寺車庫跡地に、平成9 1997年、フェスティバルゲートができました。皆さんにとってこの大型娯楽施設はどのようなものだったでしょうか。

近藤さん 画期的な話で新世界にとって、すごく大きな出来事でした。フェスティバルゲートに来た若い子が新世界に流れてくるし、同時にスパワールドもできて、お客さんの層が若返ったことを実感しました。

区長 でも残念ながら経営破綻し、平成19 2007年には閉園となりました。

上杉さん 失敗の1つは、南海の新今宮駅を降りたかたは、JRの新今宮駅から出ることができないことです。それが解決できていたらなんばから南海電鉄に乗って新世界にもっと人が来れたんですよ。南海とJRの間で行き来ができるように切符を共有化してほしいとあの時にだいぶ言ったんですが、結局実現されませんでした。新なにわ筋線ができる時にはぜひ実現してほしいと思います。

◆新世界の地名に誇りを感じる今

区長 平成の時代に入ると、新世界を舞台にした映画が公開され、NHKの連続テレビ小説、ふたりっ子も放送されました。新世界がテレビで紹介されることも多くなりました。

松本 芳夫さん 20年程前でしょうか。だるまが有名になり始めた頃から、だんだん串カツの店が増えてきました。
西上さん いまでは50数軒あるんじゃないかと思います。
近藤さん この半世紀で、新世界は映画館のまちからパチンコのまちになり、今は串カツのまちになっています。若い世代の人から外国人観光客まで、賑やかなまちになってきています。有名になって、いいまちになったと言われてます。すごくいい形で変貌してきたなと思います。
上杉さん ほかの人は異論があるかもしれないけど、やっぱりここは新世界という町名に変えるべきだと思う。昔は恥ずかしかったんですよ、新世界。
松本 文成さん 高校時代、体調が悪くて学校を休んだことがあったんです。その時、若干、僕に思いを寄せてた女の子がお見舞いに来てくれたんですが、びっくりしたやろな。その後、僕に対する当たりがそれまでと違うようになったと感じました。
上杉さん でも今やっと、僕ら新世界の人たちが俺は新世界生まれやでって言える時代が来たんですよ。
近藤さん 次の世代が、新世界で商売すること、新世界に住むことに自信を持って、というのかな。新世界で生まれたんやで、新世界で商売してんねんでと自慢できるまちとしてこれからもずっと発展してほしい。将来どんなまちになるかはまったくわからないけど、どんな形であっても、いつも賑わいのある新世界であってほしいです。
2代目通天閣ができた当初の新世界。写真下には大阪市電の車庫がある。写真提供 新世界112周年フェス歴史部会

◇ぶかぼり ルナパーク
通天閣と並ぶ新世界の目玉施設。街の北側はパリ、南側はニューヨークのアミューズメントパークを模し、まちの中心にはエッフェル式高塔の通天閣が配置されました。
ルナパークの全景 写真提供 新世界112周年フェス歴史部会

◇ふかぼり 新世界国際劇場
すっかり珍しくなった手書きの映画看板が郷愁を誘う映画館です。昭和5年 1930年、芝居小屋としてオープン。外観は今も演舞場時代のままで、昭和初期らしい重厚なデザインが目を引きます。

■新世界地域 年表
1889年 明治22年 偕楽園商業倶楽部誕生
1903年 明治36年 第5回内国勧業博覧会開催
1908年 明治41年 市電南北線 梅田-恵美須町開通
1912年 明治45年 通天閣 初代、ルナパーク開業
1913年 大正2年 市電霞町線 恵美須町~霞町開通
1915年 大正4年 市電西道頓堀・天王寺線 桜川2丁目~あしはらばし~だいこく町~恵美須町~天王寺西門開通
1918年 大正7年 市電霞町・玉造線 霞町~阿倍野橋開通
1938年 昭和13年 地下鉄御堂筋線 なんば~天王寺開通
1943年 昭和18年 新世界大火
1945年 昭和20年 爆撃により区域の約93パーセントが消失、終戦
1956年 昭和31年 現通天閣 2代目完成
1969年 昭和44年 地下鉄堺筋線 天神橋筋6丁目~動物園前開通
1993年 平成5年 地下鉄堺筋線 動物園前~天下茶屋開通
1996年 平成8年 NHKあさの連続テレビ小説ふたりっ子放映
1997年 平成9年 フェスティバルゲート、スパワールド開業
2007年 平成19年 フェスティバルゲート閉園
2023年 令和5年 通天閣が屋外広告看板を全面リニューアル スパワールドリニューアル

注 この記事は、地域の語り部のかたがたの発言をもとに作成しております。歴史考証はしておりませんので、予めご了承ください。

問合せ:区役所 総務課 企画調整
【電話】6647-9683【FAX】6633-8270

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