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浪速区制100周年記念事業 浪速区の生い立ちを振り返ります ボリューム2

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大阪府大阪市浪速区 クリエイティブ・コモンズ

当区が陸地化した時期ははっきりわかってはいませんが、続日本紀によると、大阪で最古の水害として記録されているのは、孝謙天皇の時代の天平勝宝5年 753年9月5日に、摂津国御津村を襲った高潮による水害です。住居110余区を壊損し、百姓560余人を漂没すとの記録から、当時の人口に対してこの多数の溺死者は耐えがたい惨状であったに違いなく、12月11日には遭難諸郡に対して、その年の田税を免じた。と記録されています。
この御津村は、摂津志などに南区三津寺町にあてた説があり、ほぼ区内も低陸地を形成していたのではないかと推察されています。このように今から約1600年以前の当区は、うえまちだいちからゆるやかなカーブで続く低湿地帯で、海辺と河口につながっていたと思われます。区内の町名にも、塩草、あしはら、敷津、高岸などの海岸線を思わせる古い地名が、今なお残っています。
また、類聚国史や三大実録によると、光孝天皇の時代の仁和3年 887年7月には大地震があり、建物は多数が倒壊し、死者無数に及びました。特に摂津国では海潮漲陸し 溺死者あげてかぞふべからずとあり、大阪湾にも地震津波の大災害があったことを示しています。

約1800から1600年前の大阪
天満長柄の砂州が北へ延びきって、河内平野 河内潟への海水の流入をさえぎり、河内潟は淡水湖となりました。水都大阪コンソーシアム区役所ホームページから抜粋

問合せ:区役所 総務課 企画調整
【電話】6647-9683【FAX】6633-8270

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