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浪速区制100周年プレ企画 ルックバック なにわ区(1)

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大阪府大阪市浪速区 クリエイティブ・コモンズ

第5回 浪速地域

2025 令和7年、浪速区は区制100周年を迎えます。その節目に先立ち、浪速区の歴史を区内11地域の皆さんと座談会で振り返る連載企画です。第5回では、浪速地域の皆さんに当時の思い出やエピソードなどを伺いました。

参加者 左から丸井栄子さん、北口武司さん、幡多区長、浅居明彦さん、渡辺実さん、こうの みつるさん

■中・近世の渡辺村
▽区長 浪速地域の歴史と言えば、やはり何といっても渡辺村ですね。

▽渡辺さん 昔、1616 元和2年から1624 寛永元年までの間に、今の幸町1丁目のあたりに1つの役人村が作られました。その役人村が1701 元禄14年から6年かけて、今の浪速地域の一角に移ってきました。それが渡辺村です。そのもっと前の1098 承徳2年の地図をみると、今の天満のあたり、大川の間に北渡辺村、みなみわたなべ村という表記があります。そこに渡辺党がいて、皮革の仕事といかすり神社の清めをしていました。

▽浅居さん 渡辺村が1624 寛永元年に役負担を命ぜられた頃に、皮問屋の免許 皮革製品を商いできる権利をもらいました。それで西日本いちえんから皮を集めてきて、皮問屋として莫大な財産をつくりました。皮革産業が発展して、村がどんどん広がっていきました。江戸時代の最盛期には渡辺村の人口は5,000人を超えるところまで増えましたが、もともとあった狭い場所だけでは住めませんので、今の浪速町 渡辺村の地名はその後西浜、浪速町と変更され、現在は浪速西、浪速東となっている。全体にまで広がりました。

■地域の教育は、地域の力で
▽区長 皮革産業により、渡辺村はどんどん大きくなり、やがて明治時代を迎えます。それからほどなく浪速地域では、村人の手で小学校を作ったんですね。

▽北口さん 昔は金持ちがたくさんいました。とくじょうじ というお寺があって、そこを仮の校舎にして今の栄小学校のもととなる学校を作りました。その後、近くに校舎を建てたんですが、それも個人の寄付などによるものです。

▽渡辺さん 場所は、浪速神社の道路を隔てた前あたりです。大阪で2番目に早くできた学校でした。2期目の校舎は浪速神社のところにありました。3期目は1928 昭和3年にリバティおおさかのあった場所にできました。

▽浅居さん 3期目の小学校の設計者は朝鮮総督府を設計した人で、ドイツ人です。地域がお金を払って設計させてつくりました。

▽区長 浪速地域では、1911 明治44年に、私立の有隣小学校という学校もできました。

▽浅居さん 有隣小学校は今の浪速第1ほいくしょのところに、ニッタ株式会社の創業者である新田長次郎さんが作った学校です。昼間、働いていて栄小学校に行けない子どもたちのために私財を投じ、夜間学校としてスタートしました。新田さんは、自分の名前を売るために作ったんじゃないからと言って、開校式には出席しませんでした。でも、その後で学校の様子を見に行ったら、教科書もノートもなにもなくて裸足の子もいたので、これはあかんといって、また教科書やノートを寄付されたそうです。すごい人だと思います。

■思い出のご成婚パレード
▽区長 太平洋戦争の空襲では浪速地域も焼け野原になりました。人がだんだん戻ってきて、戦災復興の土地区画整理事業が開始され公園も増えました。

▽こうのさん 区画整理のほかにも、浪速神社の西側にあった十三間堀川が埋め立てられて、その上に阪神高速道路の堺線ができました。

▽浅居さん 今の上皇と上皇后が結婚された時には、なにわ筋でパレードがありました。

▽丸井さん 当時、皇太子と美智子妃殿下が来られるというので、近くにすごい臭いを出していた工場があったのですが、その臭いを消すために1週間ほど操業を停止したと記憶しています。

▽浅居さん うちの母親が美智子さんのことが大好きだったので、パレードには日の丸を持って、肩車をしてもらって見に行きました。

▽渡辺さん 私は小学1年生の時で、学校から行って日の丸を振りました。

▽浅居さん とにかく町内は大騒ぎでした。

■皮革産業の繁栄と衰退
▽区長 浪速地域は戦後も皮革産業で復興していきます。昔、この地域でどれくらいの人が皮革関連の仕事をされていたのですか。

▽浅居さん 1970年代前半に実態調査をしたんですが、7割を超えていました。

▽渡辺さん そしてそのうちの7割が靴に関わる仕事をしていました。

▽北口さん 私も中学を卒業して、丁稚奉公にいきました。靴の下の部分を作るために、大きな皮を型に入れて裁断する仕事から覚えました。

▽浅居さん 靴の製造は分業でやっていました。かかとはかかと専門。ひもはひも専門。北口さんは型抜きでは浪速町ナンバーワンでした。包丁で皮を正確に切るなんて職人技です。それをされていたんですよ。

▽渡辺さん 大量生産のほうが安くつくようになって、その後はだんだん数が減って行きました。

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