■日本橋地域
・太平洋戦争を生き抜いた松坂屋大阪店 現・髙島屋東別館
昭和3年 1928竣工の松坂屋大阪店 現・髙島屋東別館は太平洋戦争中に政府の斡旋で軍事拠点として利用された歴史があります。浪速区史によると地下1階・2階は住友金属の航空機突貫製作工場となり、5階・6階は日立造船の軍需産業生産部門営業所、そして屋上には高射第3師団の高射砲が据え付けられました。また戦没者の妻たちが作った製品の即売会 愛國製品バザーを行って遺族を支援したという記録などもあります 銃後の大阪より。さらに昭和20年 1945 3月の大阪大空襲では逃げ惑う近隣の避難者を地下に収容して1000名近い人命を救助したといいます。爆撃で建物も発火しましたが、当直者の尽力によって見事、消火に成功し、歴史的建造物を守りぬきました。浪速区制100年の歴史を見つめ続けてきた、浪速区きっての名建築といえるでしょう。
松坂屋で開催された愛國製品バザー。3600円 現在の価値で約1800万円ほどの売上をあげたといいます。出典 銃後の大阪より
案内人:陸奥賢 むつさとし さん
観光家 コモンズ・デザイナー 社会実験者
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