■企業戦士を支えた妻―高度経済成長下の女性
戦後の日本は新しい憲法の下、象徴天皇制に変わり、天皇は「人間宣言」を行った。しかし、世襲であることは変わらなかった。また、「皇室典範」は法律となったが、天皇は「男系の男子」しかなれないと記されている。
戸籍法も変わった。婚姻は相手の戸籍への入籍ではなくなったが、どちらか一方の姓に決めなければならない。現在もなお95%以上の女性が男性の姓へ変更しており、夫婦別姓は実現していない。
戦後のベビーブームを規制する「優生保護法」は、女性の中絶を許可するものだったが、優生思想が明らかに存在したため、1996年「母体保護法」に変わった。しかし、条件つきの中絶はほんとうに女性の権利を守るものであろうか。
戦後大きく変わったことは、家制度がなくなったことであり、その証は、憲法第24条である。「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とうたわれた。しかし、性別役割分業を解消することはできなかった。とくに高度経済成長下では、男性は「企業戦士」といわれ、家庭を顧みることもなく会社人間となって働いた。家庭を支えるのは、当然のように女性であり、妻が家事・育児・介護を一手に担った。1989年には専業主婦率がピークに達し、「男は仕事、女は家庭」があたりまえの社会であった。
その性別役割分業はあらゆる分野に浸透している。女性の働き方は「男性並み」であることが求められ、第一子が生まれると仕事を辞める女性がいまだに多い。子どもの手が離れたときに仕事をもちたいと思っても、非正規の仕事しかないという現実がある。
また、家制度的なものは、冠婚葬祭の「葬」のあり方(祭祀(さいし)権)に残った。民法で仏壇・位牌(いはい)・過去帳・墓などを継承することは「慣習」とうたわれたので、戦前通りに継承されてきた。現在、葬儀のあり方は変化したが、墓に関するさまざまな問題で悩む人が多くなっている。
女性学研究者・世界人権問題研究センター
登録研究員 源(みなもと)淳子(じゅんこ)
問合せ:人権室
【電話】06-6992-1512
<この記事についてアンケートにご協力ください。>