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「日本の女性の歴史に学ぶ」 第1回目(全5回)

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大阪府守口市

■女性が登れない山がある―古代、穢(けが)れとされた女性
穢れとは不浄と同義語であり、清浄(仏教読みは「しょうじょう」)ではないことを示す。死・出産・月経が宗教によって穢れとされたが、穢れの期間が決められた。しかし後にその期間がなくなり、出産・月経は血の穢れとされ、女性は清浄の場から排除された。
神道は、天皇家の儀礼の場から穢れを除いた。死体を除き、妊娠中や月経中の女性は参内できなくなった。仏教は、高野山・比叡山が女性を山へ登らないように決め、その境界に結界門をつくった。富士山を初めとする多くの山で修行する修験道も女性を閉め出した。いずれも清浄とされる場は男性が占め、女性は参内も登ることもできなくなった。「女人禁制」である。
穢れの考え方が一般民衆に伝わっていくのは中世である。妊娠中は農耕機具をまたがない、産後6~11日は家族と食器をともにしない、月経中は鳥居をくぐらない、お仏飯に触らない、神棚に榊を上げない…など、日常生活が規制された。また、穢れが伝染するという考えも広がり、触穢思想(しょくえしそう)という。穢れになった人が他人に穢れを移すというのである。直接触れなくても、決められた同じ空間にいることで、穢れは伝染すると考えられた。近世に一般民衆が葬儀をするようになると、「清め塩」が考えられた。通夜や葬儀に参列して自宅に帰るとき、「清め塩」で穢れをはらった。死者を冒涜(ぼうとく)するこの「清め塩」は、現在では使われない地域が多くなった。
「女人禁制」は後に、土俵上やトンネルや祇園祭の鉾(ほこ)の上など、また職業にもおよび、杜氏(とうじ)や板前にも女性はなれなかった。
今も残る「女人禁制」は土俵上である。2018年、舞鶴場所で市長が挨拶している途中で倒れ、土俵下にいた看護師が駆け上がったとき、行司が連呼したのは「女性は土俵から下りてください」だった。また、奈良県にある「大峰山」(正式名は山上ヶ岳)も、女性は結界門から登ることができない。
関係者はいずれも「伝統」を守りたいというが、女性差別を伴う「伝統」は存続してもよいのだろうか。

女性学研究者・世界人権問題研究センター登録
研究員:源(みなもと)淳子(じゅんこ)

問合せ:人権室
【電話】06-6992-1512

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