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自治体の皆さまへ

ひと物語 vol.83

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大阪府寝屋川市

■職業病と闘って35年 患者の会結成し交流
手話通訳士 内野和弘(うちのかずひろ)さん(62歳・新家二丁目)

耳の不自由な人に手の動きや顔の表情で言葉を伝える手話通訳者。見た目以上にハードな仕事で腕や首のしびれ、痛みを訴える人は多く、自身も悩まされた内野和弘さんは仲間の健康問題に取り組んできました。

◇24歳で手話通訳者に転身
手話と出会ったのは19歳のときです。「広報ねやがわ」で知った手話講座を受講し、手話サークルに入会。帰宅が深夜になることもありましたが、「楽しくて、しんどくありませんでした」。
手話を教えてもらうこともあったという聴覚障害者とふれあい、手話通訳者の道に進むことを決意。昭和60年、勤めていた建築事務所を辞め、四條畷市の手話通訳者として活動を始めました。24歳のときでした。

◇初めて知った頸肩腕(けいけんわん)障害
腕などを動かす筋肉疲労に加え、言葉を手話で同時通訳する精神的な緊張感も重なり、イライラ感や肩こり、しびれなどの症状が出る頸肩腕障害が注目されたのは、この頃です。
滋賀県内でただ一人の手話通訳者が重度の障害と診断され、「初めて聞く診断名に驚きました」。平成元年に近畿地区の手話通訳者を対象に健康調査が行われ、自身もプロジェクトチームに参加。翌年には全国調査も始まりました。手話通訳の従事者は全国に約600人いましたが、「約8割の人が体の不調を訴えていました。仕事を続けられない人がいることも分かり、職業病として多くの報道機関にも取り上げられました」。

◇健康対策で情報交換
2年後、全国から集まった31人で「全国手話通訳けいわん患者・健康を守る会(患者の会)」を結成し、会長に就きました。「悩みを抱える仲間が集まり、情報を交換しながら治していこう」と交流会を開催。専門家から障害について学ぶことから始まりました。
健康に配慮したルールもなく、働く環境の改善も働きかけました。「1人で長時間の手話通訳を担当することも珍しくありませんでしたが、今は1回15分〜20分に。肩に受話器をはさんで行っていた電話通訳ではヘッドフォンを使うなど今の基礎となるルールが出来ました」。

◇職業病と闘う思いを冊子に
4年前、全国手話通訳問題研究会健康対策部の協力で、障害と闘ってきた手話通訳者の経験や思いを綴った冊子『時をつなぐ ことばを紡ぐ』(本紙写真右)が患者の会から出版されました。
その中で自身のことも紹介。手話通訳者になった頃は、過労から帰宅するなり玄関先で朝まで寝込むことも度々あったといいます。後に頸肩腕障害と診断され、「まるで肩に五寸くぎを突き刺したような痛みでした」と苦しかった当時を振り返ります。

健康問題や処遇改善に取り組んで35年余り。患者の会は解散しましたが、健康問題がなくなったわけではありません。今も大阪手話通訳問題研究会の健康班として活動し、この8月も手話関係者の健康フォーラムに参加し、こう語りかけました。
「手話通訳者の健康を守ることは、聴覚障害者の生活と権利を守り、いろいろな福祉制度を向上させることにつながります。手話経験は短くても頸肩腕障害になる可能性があり、休養と気分転換が大事です」。

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