■高校バレー指導し40年 全国9度目の頂点目指す
金蘭会高校バレーボール部監督
池条義則(いけじょうよしのり)さん(62歳)
母校の府立南寝屋川高校(現緑風冠高校)を何度も全国大会に導いた池条義則さん。転任した女子高の私立金蘭会高校(大阪市)では無名のバレーボール部を立て直し、新春の〝春高バレー〞で5年ぶりの頂点を狙います。
◇きっかけはテレビアニメ 選手の限界感じ指導者に
市立西小学校6年生のとき、ミュンヘン五輪で松平康隆監督が率いるバレーボール男子が金メダルを獲得。その軌跡を描いたテレビアニメ『ミュンヘンへの道』に夢中になり、市立第二中学校でバレーボールを始めました。
ポジションはセッター。南寝屋川高校では3年連続で近畿大会に出ましたが、小柄な体格で選手としての限界を感じていました。「松平監督も小さな体ででっかい選手を指導し金メダルに輝いた。よし、自分も指導者になろう」
◇大体大で体育教師目指す 生徒に教えられた定時制時代
体育教師を目指して大阪体育大学へ。バレー部では控えチームに所属し、3年生から南寝屋川高校でコーチとして女子を指導。強豪校と練習試合を行うなど、この2年間が指導者の原点になりました。
大学を卒業すると、府立高校の定時制に赴任しました。バレー部があることに驚きましたが、生徒から「教えて」と言われ、授業が終わる午後9時から猛練習。男子は定時制の全国大会に出場し、「頑張れば全国も夢ではないことを教えられました」。
◇堅守バレーで公立高旋風 母校を7度全国へ導く
30歳のとき、南寝屋川高校に教師として、戻りました。1年目は男子を指導し、翌年に女子の監督に。私立の強豪がひしめく大阪で有力校に成長したチームを引き継ぎ、「プレッシャーを感じました」と振り返ります。
特に攻撃力のある長身選手は私立高校に入ることが多いため、身長差をカバーするためにレシーブなどの守備を鍛え直し、当時の春高バレー(全国高校選抜優勝大会)に7度も出場。拾ってつなぐ粘りのバレーで公立高校旋風を巻き起こしました。
◇請われて私学バレー部強化 9年目に3冠達成
休部状態のバレー部の強化を請われて金蘭会高校に移ったのは平成19年の春でした。南寝屋川高校と大東高校の統合を転機と捉えて引き受けました。
今でこそ25人のバレー部も当時はわずか数人。このため、培った人脈を生かして有力選手の受験を頼み、14人の選手が加わりました。「体育館が入る校舎も建設中で、南寝屋川高校の体育館を借り、最後の3年生と一緒に練習をしました」。同僚もコーチで協力してくれるなど周囲の支援もあり、めきめきと力を付け、5年目に高校総体で全国デビュー。平成27年1月には、春高バレー(全日本高校選手権大会)を制し、高校総体と国体を併せて3冠を達成しました。
教師になり40年。教員採用試験の面接で、「バレーの指導者になり全国トップを目指します」と宣言しましたが、「まさか8度も優勝できるなんて」と自身もびっくり。13年連続13回目の出場となる年明けの春高バレーで9度目の全国制覇を目指します。
◆私とふるさと
小学校1年生のときに高柳に家ができたのですが、両親が共働きだったため3年生まで守口市内の親戚に預けられ、4年生から寝屋川市立西小学校に通いました。
その後、市立第二中学校に入学。男子も長髪の中学校が多かった中で、二中はまだ丸坊主でした。部活で体育館が使えるのは週に1度くらいで、屋外のバレーボールコートでよく練習していました。
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