■神田善五郎清沢翁碑(讃良西町)
かつて「萱島流作新田」と呼ばれた萱島は、寝屋川がカーブしたところに出来た中州でした。
寝屋川市史などによると、享保7年(1722)に新田開発の許可が下りて以降、多くの人々が難事業に挑戦。萱島神社にも祭られる神田善右衛門が60年の歳月を経て開発に成功し、17区画に分けられた新田は神田家が代々管理しました。
中でも神田善五郎清沢は、当初からの農家17軒の維持にも尽力。自然石でできた石碑は59歳で亡くなった翌年の明治40年に農家の人々によって建てられ、現在も国道163号の猪鼻橋に近い萱島墓苑で管理されています。
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