■言い続けて日本一を達成 人生の分岐点で道開く
元バスケットボール日本代表 木下 博之(きのした ひろゆき)さん(44歳・寝屋南)
「日本一のバスケットボール選手になる」と誓い、大学と社会人で全国制覇。人生の節目、節目で思わぬ縁に導かれ、「今度は日本一のコーチに」と新たな目標に突き進んでいます。
◇お地蔵さんに夢誓う
中学校でバスケットボールを始め、大阪市内にある強豪校に進学。通学路の小さなお地蔵さんに毎日、「日本一のプレーヤーになります」と言い続けました。高校の3年間でその夢は達成できませんでしたが、3年生のときに国体の大阪選抜チームで思ってもいない主将に指名されました。
実は選考会の日、トイレのスリッパを並べ直している姿をチームの監督が目撃。「その行動に感心し、府大会で優勝したこともない私を抜擢してくれたと聞きました」。
◇チーム率いて学生日本一
両親はともに体育教師。自身も教員免許を取って指導者になるため日本体育大学に進みました。入学時のバスケ部はそれまで全日本学生選手権を11度も制覇した常勝チーム。連敗続きで優勝が危ぶまれた4年生のときは主将としてチームをまとめ、コートでは司令塔のポイントガードで学生日本一に導きました。
「部員は約200人。1軍をトップに7チームもあった部の結束を呼び掛け、みんなで勝ち取った優勝。お地蔵さんに言い続けたことがやっとかないました」。
◇休部乗り越え天皇杯獲得
卒業後、社会人のパナソニックトライアンズでプレーし、30歳のときに日本代表でアジア大会に出場しました。しかし、その2年後に休部となり、和歌山の後継チームへ。2シーズン目の契約手続きのため、チーム事務所で順番を待っていたときに携帯電話が鳴り、「うちでプレーしないか」と東京の日立サンロッカーズに誘われました。
契約の約束の時間まであと10分ほどでしたが、その場で承諾。そしてなんと移籍1年目で日本一の天皇杯を獲得。「休部はショックでしたが、人生の分岐点で道が開けた感じでした」。
◇「コーチでも頂点極めたい」
6年前、大阪エヴェッサを最後に17年間の現役生活を引退。母校の大学院でコーチ学を勉強し、「コロナ禍で講義はオンラインでしたが、ほかのスポーツの人たちと話す機会もあり、多くのことを学びました」。
さらにサンロッカーズ渋谷など2チームでアシスタントコーチも務め、「動けるコーチに」と、誰よりも早く体育館に行って筋トレで体力づくりに励みました。心理学やカウンセラーの資格も取り、「コーチでも日本一を目指して頑張ります」と話します。
八尾市出身ですが、パナソニック時代に寝屋川市に引っ越し13年。現在、選手の精神面や引退後のセカンドキャリアを支援する資格を勉強中です。廃校の小学校体育館を利用して選手を育成する計画もあり、「子どものときからしっかりとした方針と考え方で指導すれば、もっと裾野が広がります」と夢は尽きません。
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