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終戦80年平和特集 平和のために 私たちができること(1)

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昨年、日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞し世界から注目されました。今年で終戦から80年を迎えますが、高齢化により戦争の経験を後世に伝える人が減り、若い世代への継承が課題となっています。戦争は決して遠い過去の出来事ではなく、今も世界のどこかで起こっています。一人一人が平和のためにできることを改めて考えてみませんか。

■3月1日は「枚方市平和の日」
かつて枚方は、砲弾などを製造する枚方製造所や香里製造所、完成品などを格納する禁野火薬庫がある「軍需のまち」でした。昭和14年3月1日午後2時45分、禁野火薬庫で砲弾解体作業中に発火。次々と爆弾に引火し、29回の爆発を繰り返しました。火災は約3日間続き、死傷者約700人、被災世帯は4400世帯を超えました。また、昭和29年には同じ3月1日に第五福竜丸がビキニ環礁でアメリカ軍の水爆実験により被ばくしたことから、市は平成元年に3月1日を「枚方市平和の日」に制定。戦争による悲劇を風化させることなく市民一人一人が平和を願う日として、毎年平和に関する事業を展開しています。

■大阪ブルテオンと巡る市内の戦争遺跡
2月26日開催のひらかた平和フォーラム(詳細は5ページ参照)で平和クイズの動画に登場する市PR大使・大阪ブルテオンの選手たちが市内の戦争遺跡を紹介します。皆さんもぜひ訪れてみませんか。

大阪ブルテオン:1951年創部。パナソニックアリーナ(菊丘南町)を本拠地とし、SVリーグで活躍する男子バレーボールクラブ。昨年、「パナソニックパンサーズ」から名称変更。

「私たちと平和について考えましょう!」
中村駿介 選手《枚方市出身》
西山大翔 選手
小宮雄一郎 選手

□不戦と平和のシンボル 妙見山(みょうけんやま)の煙突
日中戦争の激化に伴い、宇治火薬製造所から運ばれてきた火薬を乾燥させて砲弾に詰める作業を行う香里製造所が建設されました。乾燥に使用していた巨大な煙突(右ページ写真)は、同製造所が現在の香里団地に生まれ変わった後も残り、昭和59年に戦争につながる建造物を後世に伝える平和のモニュメント「妙見山の煙突」として保存が決定されました。
・香里ケ丘8(京阪バス「公孫樹通(いちょうどおり)」下車徒歩約8分、 妙見山配水池内)
・毎年春・秋に見学会を開催(通常時は見学不可)
※写真は本紙をご覧ください

「実際に兵器の製造で使われていた煙突。当時のまま残っていることに驚きました。」

□枚方最大の戦災を忘れない 殉職義烈之碑(じゅんしょくぎれつのひ)
爆発の起点となった場所(禁野小学校東側)には、工員38人の殉職者を慰霊する殉職義烈之碑(左写真)が昭和15年3月1日に建てられました。また、禁野保育所南側には、爆発による火災の消火作業で殉職した消防団員15人と当時の枚方町会議員1人の功績をたたえる殉職記念碑も建てられています。
・中宮北町(京阪バス「中宮住宅前」下車徒歩約6分)
・いつでも見学可
※写真は本紙をご覧ください

「殉職義烈之碑のそばに刻まれている殉職者の名前を見ると、自分が生まれ育ったまちで失われた命の尊さと悲しみを感じました。」

□平和の尊さを次世代に伝える 平和資料室
禁野火薬庫爆発当時の様子が分かる写真パネル約30枚や軍服・砲弾・軍隊手帳などの戦争資料を16台の展示ケースで常設展示。毎年夏には特別展も開催しています。
・車塚2(京阪バス「片鉾・中央図書館」下車徒歩約1分、中央図書館1階)
・開館時間は午前9時30分~午後7時(土・日曜、祝日は午後5時まで、毎週金曜・第4火曜休館)
・無料

「当時の写真や持ち物からは、戦時中の暮らしぶりが伝わってきます。平和について考えるきっかけとして一度足を運んでみませんか。」

□さらに若い世代へみんなでつなぎ平和な世界の実現を
ホームタウンの枚方市に戦争の悲惨さを伝える遺跡や資料室があるとは知りませんでした。青色は平和を象徴する色ですが、私たち大阪ブルテオンの名前の由来「Blue to Eon(永遠なる青)」のように、ずっと平和が続くよう願っています。そのためには、私たち若い世代が戦争の悲惨さを知り、さらに若い世代へ語り継いでいくことが大切だと感じました。世界には戦争によって自由にスポーツを楽しむことができない国もあると聞きます。どこで暮らしていても、誰もがスポーツを楽しめる世界になってほしいですね。

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