縄文時代:豊かな森の住民たちと土器の発明
■現代に近い環境へ
今から約1万6千年前ごろを境に、人々を取り巻く自然環境が寒冷で乾燥した大陸性気候から、安定した温暖で湿潤な海洋性気候へと変化し始めました。海面が徐々に上昇し、現在の日本列島の原形が形成され、植物資源の豊富な温帯落葉・常緑広葉樹林が広がるようになりました。私たちの住む猪名川流域でも、尼崎市域や豊中市域の南半分まで海が及んでいたことが分かっています。
■多様化した食料資源
この環境の変化は、それまでの人々の生活を根底から覆すような大きなものでした。森は、クリ・トチ・ドングリ・クルミといった植物資源やシカやイノシシといった動物資源を、大陸棚が発達し広大な干潟を生み出した海やそこに流れ込む河川は、魚介類といった水産資源をと、後期旧石器時代とは比べものにならない豊かで多様な食料資源を人々にもたらすことになりました。例えば、豊中市の穂積遺跡で発掘された縄文時代の海底跡で、80種以上の貝の化石が足の踏み場もない状態で見つかったことも、その豊かさの一端を示しています。
後期旧石器時代の人々を、特定の大型獣を狩猟対象としていた「スペシャリスト」とすると、縄文時代の人々はこのような多様な食料資源を狩猟採集する「ゼネラリスト」と表現することができそうです。このような変化は、大型獣を追って広い範囲を移動することを余儀なくされた生活から、一定の範囲に定着する生活をもたらすことになりました。半地下式で暖房効率の高い竪穴式住居が生まれたのもこの変化に連動した現象の1つです。
■新たな道具の発明
縄文時代に現れた新たな生活は、新たな道具を生み出しました。例えば、食料資源に関するものを見てみると、トチやドングリなどを、加熱や水さらしによって「あく抜き」をするための土器、森に生息する動きの早い中・小型獣を捕るための弓矢や、釣り針・網・モリ・ヤス、さらにヤナなどの狩猟具や漁労具などです。
また、道具ではありませんが、犬の出現も見逃すことができません。犬の活用によって、集団猟だけではなく個人猟も可能になりました。遺跡の中で見られる丁寧な犬の埋葬は、生活を共にする忠実な家犬であり、猟犬であったことを物語っています。
■土器の機能と人口の増加
ところで、日本の考古学では、縄文土器の発明をもって縄文時代の始まりとしています。土器は「あく抜き」だけではなく、煮沸調理を可能にした道具でもあります。煮沸する、この機能によって食材の範囲が広がるとともに、消化吸収を促進させるなど、縄文人に安定した食生活をもたらすことになりました。少し大げさな表現になりますが、土器が持った機能は、社会発展の基盤となる「人口の増加」への道を開いた、まさに時代を画する大きな発明であったわけです。
■豊かな森の住人たち
縄文人たちは、自分たちを取り巻く自然環境を破壊しない限り、その恩恵を確実に得ることができることを知っていたのでしょう。池田市域では、池田城跡などで縄文土器の出土が知られています。ある時は五月山の、またある時は猪名川の、さらにこれに続く海の恵みを得ることができたはずです。環境の破壊と引き換えに得られた「現代の豊かさ」、豊かな森の住人たちに少し学ぶ必要がありそうです。
(市史編纂委員会委員・田中晋作)
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