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市史編纂(さん)だより わがまち歴史散歩 Vol.161

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大阪府池田市

■饒舌(じょうぜつ)な「文字史料」と寡黙な「考古資料」
▽二つの異なる史資料
今回から6回にわたって、池田市域の持つ歴史的特質について、主として「考古資料」を使って紹介していきます。
ところで、歴史は、二つの性格の異なる史資料の分析をとおし、その総合的な研究によって明らかにされてきました。一つは、文字として残された史料「文字史料」、もう一つは、モノとして残された資料「考古資料」です。そこで、1回目となる今回は、「文字史料」と「考古資料」の違い、それぞれの有用性と限界についてお話しします。

▽饒舌な「文字史料」
「文字史料」は、いつ、だれが、どこで、…、そして、中にはその結果によって現れる感情までと、過去のさまざまな事象について饒舌に語りかけてくれます。そこから導き出される内容は高い具体性を持っています。また、時代が新しくなるにしたがって、現在まで残る同時代の「文字史料」も飛躍的に多くなっていきます。
ところが、「文字史料」は、文字が使用されるようになった時代以降に、文字を使用できるヒトが、文字として残す必要があると判断したコトのみが記録の対象となっています。つまり、記録の対象にならなかったことが抜け落ちてしまっていることになります。また、同時代ではなく過去にさかのぼった内容や意図的な改変が加わることも想定されます。さらに、文字は、文字を刻む石や金属、あるいは書く木や紙といった媒体が必要になることから、いくつもの幸運が重なったことで、現在にまで受け継がれてきたものといえます。

▽寡黙な「考古資料」
一方の「考古資料」は、人間社会が存在した限り、普遍的に見出すことができます。この点が「文字史料」と大きく異なるところです。つまり、人間のさまざまな行為によって生み出された全てのモノを対象にすることができます。何らかの目的を持って生み出され使用されたモノは当然のこととして、極端にいうと、生理的な行為の結果も含まれることになります。例えばびろうなお話ですが、排便(糞(ふん)石…排泄(せつ)物が化石化したもの)も考古学的な分析の対象になっています。
しかも、そのモノが生み出された時代、つまり同時代の資料である点において大きな力を持つのです。むろん、全てのモノが残るわけではなく、素材によっては長く残らないモノや、そもそも未発見のモノも存在しているはずです。しかし、それを含めても、「文字史料」に比べその対象となる資料は余りあるものです。
ところが、多くの「考古資料」が残されていながら、それらは古墳に副葬された、あるいはごみ捨て場に捨てられたといった、その最終の姿でしか捉えることができません。なぜそのモノを必要としたのか、どのようにして作られ使用されたのか、それによってどのような結果が得られたのかといった過程については何も語ってくれない、寡黙な資料なのです。

▽考古学のだいご味
このように、自分からはしゃべりだすことがないモノに何らかの方法を用いてしゃべらせようとするのが考古学といってもよいかもしれません。次回からは、いくつかのキーワードを設けて、自らはしゃべらない寡黙な「考古資料」を使って、「文字史料」として記録の対象にならなかった時代、あるいは事象に注目して考えます。

(市史編纂委員会委員・田中晋作)

問合せ:社会教育課
【電話】754・6674

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