■歴史民俗資料館特別企画展
開校150周年!池田の小学校(第4回)
現在、歴史民俗資料館では、12月1日(日)まで、市内小学校の歴史や教育について紹介する特別企画展を開催しています。最終回となる今回は、戦後の新教育について紹介します。
◇小学校の再開
戦後、空襲の被害が比較的少なかった池田市では、学校教育の再開は早く、秦野国民学校は昭和20(1945)年8月21日に再開しました。
同校の「校長訓諭録」には、校長が朝会などで話した訓諭が記録されており、その内容から当時の学校の様子をうかがうことができます。秦野国民学校では、進駐軍が校舎の一部を使用しており、その周辺の教室をウロウロしないよう注意喚起を行ったことや、食糧難の対応として、ドングリを粉にした「だんご」や「パン」を作るため、児童は頑張ってドングリを拾うよう、呼びかけを行った記録が度々見られます。学校を再開したものの、授業や学校生活が軌道に乗るのは時間がかかっていたようです。
◇新教育の追求
昭和20年9月、文部省は、軍事的思想を廃し、民主的、文化的国家の建設をめざした教育の基本方針を示しました。22年3月には、「教育基本法」「学校教育法」が制定され、翌月、国民学校は小学校になりました。教科名は、国語、社会、算数、理科、音楽、図工、家庭、体育、自由研究に改められました。
新たな学校制度が整えられていく中で、各学校では、新教育の創造をめざし、教材検討会や学習指導要領の輪読会などが開催されました。そして、昭和25(1950)年、大阪府内で初めて開催された、池田小学校の新教育追求の成果を披露した「池小第一回全国大会」には、全国から500余名の教員や教育研究者が訪れ、大きな反響を呼びました。
下段の資料『池小プランの前進過程』(※本紙参照)には、池小第一回全国大会で発表された、池田小学校のカリキュラムの構成や新教育による学力低下の検討、能力別ドリルの導入などが記されています。
◇新たな小学校の開校
戦時中の昭和18(1943)年に、市内公立小学校へ通った児童の数は4516人でしたが、戦後、第一次ベビーブーム期の子どもたちが就学した30年には、6149人になりました。さらに、第二次ベビーブーム期の子どもたちが就学した55年には、9993人になり、戦時期の倍以上の児童が小学校に通いました。
市内では、児童の増加に伴い、新たに小学校が開校していきます。昭和28(1953)年に石橋小学校が開校。さらに、35年に五月丘小学校、47年に石橋南小学校、51年に緑丘小学校、53年に神田小学校、55年に伏尾台小学校が開校しました。
現在の児童数は、5000人余り、市立小学校9校、義務教育学校(ほそごう学園)1校、国立大学法人の附属小学校が1校、合わせて11校となっています。
全4回にわたって市内小学校の歴史を紹介してきました。「教育のまち池田」の小学校の歴史を知っていただくとともに、皆さんが通われた小学校に思いをはせる機会となれば幸いです。紹介した資料は、展示でご覧いただけます。ご来館お待ちしております。
本紙20ページのミュージアムコーナーに展示案内を掲載しています。併せてご覧ください。
問合せ:歴史民俗資料館
【電話】751・3019
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