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人権コラム「しあわせ」

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大阪府河南町

◆会話の交通安全ルール

最近、モヤモヤを感じる会話を経験しました。「最近、多様性、多様性っていうけど、多様性っていうなら『差別する多様性』もありますよね」ということを言われ、私は「いや、すべての人に人権があって、差別したらいけないのがまず前提にあるんで、差別する多様性はないですよね」と返答しましたが、相手は納得していないようでした。

「差別する多様性」という言葉はインパクトが強いですから、相手のほうは論争に「勝った」気分になっていたかもしれません。いまどきの言葉でいえば、「はい、論破!」の状態ですね。逆に、私のほうが「屁理屈ですよね、そんなの!」と言い切ることで、会話はシャットダウンすることもできたかもしれません。

読者のみなさんはどう思われましたか?「差別する多様性がありますよね!はい、論破!」には、違和感を感じるかもしれません。一方、「屁理屈いうな!」も、何が屁理屈なのか理由を説明していないし、黙らせているという意味では「はい、論破!」と同じじゃないか、と思う方もいるかもしれません。

なんで「論破!」と言われると言葉に詰まってしまうんだろう、なんで「屁理屈いうな」といった強い言い方か歯切れの悪い返答のどちらかしかできないんだろう、どうしたらうまく会話が成り立つんだろうと、ずっと整理がつかないまま、モヤモヤしていました。このような経験をした方は、けっこういるのではないかと思います。

そのモヤモヤを整理するヒントになる本がありました。朱喜哲(ちゅ・ひちょる)さんの『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす:正義の反対は別の正義か』です。哲学の本なので、言葉遣いが少し難しいのですが、読者にわかりやすいように、さきほどのような会話が成り立たない状況を、交通事故に例えてくれています。会話がスムーズに進んでいる=上手に乗り物を運転しているというわけですね。

朱さんのお話を私なりに解釈すると、「多様性ばっかりしんどいよね。面倒くさいよね」という考え方(「善の構想」といいます)は正直、持っててもいいけど、対話をするときは「すべての人に人権がある」という会話の交通ルール「(正義」といいます)に基づいて、対話を進めていかないといけないといいます。そこをずらして「差別する多様性ありますよね、はい論破!」と言い方を持ち出すのは、会話の危険運転をしているのです。そして、対話がストップしてしまうのは交通事故に例えられます。

このような会話の交通安全ルールは、「合理的配慮」とも共通しています。合理的配慮とは、当事者と行政や企業などとの絶え間ない「調整」、つまり対話です。「調整は面倒」という気持ちはあるだろうけど、「障害者のわがままだ!」と「論破」して対話を不成立に終わらせるのではなく、「どうしたら双方の納得いくようにできますかね」と対話を続けようということが交通ルールなのです。

ネット言説の影響で、対話の交通事故が多発しています。対話の交通安全ルールを、社会がもう一度確認する必要があると思います。

齋藤 直子(大阪教育大学)

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