■墨は語る(4) ~池上曽根遺跡 江戸時代の火鉢~
緑釉(りょくゆう)の火鉢は、曾禰神社の近くでおこなわれた発掘調査で見つかりました。土坑(どこう)から、瓦や甕(かめ)などの破片と一緒に見つかっており、不要になって捨てられたと考えられます。火鉢は瀬戸焼で、獅子をかたどった耳がついています。外面には、文様(もんよう)を彫り付けた印材などを押し付ける印花(いんか)という技法で植物の文様を施しており、日常的に使用されていたのではないでしょうか。
底部に「寛政六年寅十月四日海部(かいべ)や藤兵衛」と墨書されており、約230年前の寛政6年(1794年)に「海部や」が購入したことがわかります。江戸時代以降、この火鉢のように、ものを購入した日付と購入者を墨書している例が時折見られます。
見つかった場所周辺で「海部や」という屋号は伝わっておらず、詳細は不明ですが、堺市や大阪市内で海産物を扱う問屋などに「海部や」という屋号が多くみられることから、関係があるかもしれません。
次回は「泉大津とパン(1)」をお届けします。
問合せ:生涯学習課
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