■豊中村領主 片桐家(1)~泉穴師神社との縁~
戦国時代、紀伊国(現在の和歌山県)の根来寺(ねごろじ)は、紀伊国だけでなく和泉、河内国にまで荘園を所有し、また根来衆と呼ばれる僧兵を多く抱え、強大な経済力と武力を持っていました。その勢力を全国統一の妨げに感じた豊臣秀吉は、天正13(1585)年3月、紀州討伐にのりだしました。和泉国の多くの寺社は、根来寺についていたために秀吉軍に攻め込まれ、泉穴師神社(豊中町)をはじめ多くの寺社が荒廃したと伝えられています。
秀吉死後、息子の秀頼は秀吉の供養のために、戦乱で荒廃した多数の寺社に寄進し、社殿の再建などを行いました。この時に奉行として事業をすすめたのが片桐且元(かたぎりかつもと)でした。且元は、慶長7(1602)年、泉穴師神社本社本殿および摂社春日神社の再建に着手。泉穴師神社には、このことを記した棟札が残されており、現在も大切に保存されています。
問合せ:生涯学習課
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