■豊中村領主 片桐家(2)~片桐貞隆豊中村の領主になる~
泉穴師神社の再建に奉行として関わった片桐且元(かたぎりかつもと)は豊臣家の家臣でしたが、徳川家康からも重要視されていました。慶長6(1601)年に大和国竜田(現在の奈良県生駒郡斑鳩町竜田)を所領として与えられ、竜田藩の藩主となります。その後、関係が悪化していた豊臣家と徳川家との調整役として尽力しますが、うまくいかず、弟の貞隆とともに離反し徳川家に仕えます。
弟の貞隆は、大和国小泉藩(現在の奈良県大和郡山市)の藩主となり、さらに河内国、摂津国、和泉国などに飛び地の領地を拝領します。そのうちの一村が豊中村(現在の本市豊中町)です。貞享元(1684)年、3代目藩主片桐貞房に宛てた『領地目録』には、「和泉国和泉郡之内四箇村」として豊中村の名が記されています。
明治時代に廃藩置県(藩が廃止され、府県が置かれる)がおこなわれるまで、片桐家は領主として豊中村に関わりを持つこととなります。
問合せ:生涯学習課
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