■公立病院のあゆみ(1)
本市の医療政策のはじまりは、明治時代に遡ります。当時、上下水道、粉じん処理などの整備が未発達だったため、結核やコレラ、腸チフスなどの伝染病が流行しました。これら感染病の流行拡大を防ぐために、感染した人を隔離して治療する感染隔離病舎が、明治28(1895)年、上品寺(じょうぼんじ)(春日町)本堂に設けられます。そのあとも移転や増築を繰り返しますが、赤痢病の流行に対応できず、十分な患者を収容できなかったため、昭和2(1927)年4月、大津町・上条村・穴師村・国府村・郷荘村・伯太村・信太村の7町村が共同で、和泉伝染病院を下条町(現在の市立周産期小児医療センター)に設置しました。
その後、西洋医学の概念の流入により昭和5(1930)年、和泉伝染病院の敷地内に和泉公民病院が新設、初代院長に樋渡雋二郎(ひわたししゅんじろう)を迎えました。これが本市における公立病院のはじまりとなり、現在まで95年の歴史を刻んでいます。
問合せ:生涯学習課
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