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ふじいでら歴史紀行 197

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大阪府藤井寺市

【葛井寺参詣曼荼羅 大阪府有形文化財に指定】
今回の歴史紀行では、令和5年3月に大阪府有形文化財に指定された、葛井寺参詣曼荼羅(さんけいまんだら)をご紹介します。藤井寺市内では、他に、工芸品、考古資料といった6件が大阪府有形文化財に指定されており、葛井寺参詣曼荼羅は7件目になります。
皆さん、参詣曼荼羅とはどのようなものか、ご存じですか。参詣曼荼羅とは、寺院や神社など霊場への参詣や信仰を促す目的で作成された絵図のことで、通常はお寺などの建物の境内、参詣道といった景観や、霊場に集う宗教者、巡礼者、参詣者、霊場に関わり生活を営む多様な人々などを画面いっぱいに描いています。
では、葛井寺参詣曼荼羅を見ていきましょう。これは、縦135・6cm、横59・8cmの縦長で、掛軸(かけじく)に仕上げ、巻いて箱に納められています。画面は境内を南側の上空から見下ろすようになっており、中央やや上寄りに本堂をひときわ大きく描いています。そして本堂の中には、ご本尊の十一面千手観音菩薩坐像をはじめとした仏像の安置された様子を見ることができます。
葛井寺参詣曼荼羅は、描かれた絵画の表現から16世紀前半の制作と考えられています。16世紀前半といえば、永正7(1510)年8月8日、強い地震があり、葛井寺もお寺の建物が大きな被害を受けるという、歴史的な出来事があった時期にあたります。
地震後、お寺の再建のために勧進(かんじん)が行われました。勧進とは、寺社・仏像の建立・修繕などのために金品を募ることです。
葛井寺参詣曼荼羅は、お寺の再建事業が進められた時期に制作されたのです。そして、元のお寺の姿を描くことにより、そのような状態に再建するために金品を募る勧進を進める手段として制作された可能性が指摘されています。
このような制作事情とともに、葛井寺参詣曼荼羅は現存する参詣曼荼羅の中でも最初期に制作されたものとして、絵画史上重要なものとなっています。描かれた多様な人物や装束などを細かく見ると、当時の風俗などを知ることができ、いにしえの歴史を身近に感じることができる貴重なものなのです。
(文化財保護課 新開義夫)

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