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ふじいでら歴史紀行 200

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大阪府藤井寺市

【さまざまな歴史を刻んできた船橋遺跡(3)~「船橋色」の華麗な土器~】
博物館に行くと、なぜたくさんの土器や瓦など似たようなものがたくさん展示されているのだろうと感じる人もいるでしょう。土器や円筒埴輪、瓦など大量に生産されるモノは、作られた地域や時代の「流行」が強く反映されます。それは、形・紋様・大きさなどに表れています。その「流行」を比べると、その遺物がいつ作られたものか、さらにはその遺跡がいつの時代のものかが判断できます。つまり、考古学においてこれらは時代を測る「モノサシ」なのです。
船橋遺跡から出土する遺物は様々なものがありますが、その中でも縄紋【※1】土器と弥生土器は注目される遺物のひとつです。船橋遺跡でみつかる縄紋土器は、土器の表面に粘土の帯を貼りつけた「突帯文(とったいもん)」を持つ「突帯文土器」が目立ちます。これは、「船橋式」と呼ばれ、縄紋時代晩期後半における土器の変遷過程を考えるうえで重要な位置を占めるものです。
弥生時代になると、土器は製作者の美意識が顕著に表現されるようになります。弥生時代前期では、「遠賀川(おんががわ)式土器」と呼ばれる、西日本で広く共通する形態の土器が見られます。目立った装飾はありませんが、そのフォルムは縄紋土器とは異なる洗練された美しさがあるものでした。中期になると、土器に様々な施紋(せもん)【※2】が行われるようになり、弥生時代で最も華やかな土器が作られるようになります。板材の小口や櫛状の工具を用いて描く「櫛描文(くしがきもん)」が流行し、そのほかにも簾(すだれ)のような「簾状文(れんじょうもん)」や点が連なっているような「列点文(れってんもん)」、水の流れのような「流水文(りゅうすいもん)」なども描かれます。後期になると、多くの土器から紋様が失われ、機能性の追求に主眼が置かれるようになりますが、絵を描いたものが含まれるようになります。
これらの船橋遺跡から出土する弥生土器は、しばしば特徴的で美しいと表現されます。まず、土器の胎土(たいど)【※3】がコーヒー牛乳の色に似たベージュ色で、雲母(うんも)【※4】を含んでいるため、黒色や金色に光っています。考古学者の佐原眞(さはらまこと)さんや今里幾次(いまさといくじ)さんは、この土器の色を「船橋色(ふなはしいろ)」と呼んでいました。そして、特に弥生時代中期の土器は、そのフォルムや細やかな施紋がとても美しく、まさに芸術品と言えるものでしょう。
一見同じものに見える土器も、「モノサシ」にできるほど、作られた場所や時期ごとに特徴があります。博物館などで展示を見られる際は、ぜひ土器のフォルムや色、紋様もよく観察してみてください。
(文化財保護課 河合 咲耶)
【※1】本来の漢字の意味としては「紋」が「模様」、「文」が「文字」として使用されていました。現在では、「縄文」と表記することが多いですが、ここではあえて「縄紋」と表記しています。
【※2】土器などに装飾の紋様を加えること。またその紋様のこと。
【※3】土器の本体を形作る粘土のこと。土器の製作地によって、採取した粘土に元から含まれるものや製作した人が粘土に混ぜる、鉱物などの種類や割合が異なります。
【※4】珪酸塩(けいさんえん)鉱物の一種。白雲母や黒雲母など数種類あります。

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