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ふじいでら歴史紀行 204

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大阪府藤井寺市

【唐櫃山古墳の発掘調査から (1)唐櫃山古墳の概説】
近鉄南大阪線の土師ノ里駅北側に所在する唐櫃山(からとやま)古墳では、令和2年から毎年発掘調査を実施しています。発掘調査は古墳が造られた当初の姿を確認するためのもので、調査によって多くのことが明らかになりました。唐櫃山古墳とはどんな古墳だったのか、調査成果によって何が変わったのかについてお話ししていこうと思います。
唐櫃山古墳は、近鉄南大阪線土師ノ里駅のすぐ北側、府道堺・大和高田線沿いに位置します。5世紀後半に築造された全長59mの帆立貝形(ほたてかいがた)前方後円墳で、北東には允恭(いんぎょう)天皇陵(市野山)古墳があります。現在ではフェンスに囲まれ、古墳の大部分が失われていることから、築造当時の姿を想像することは難しい古墳になっています。
この古墳を語るうえで、キーワードとしてあげられる言葉は「陪冢(ばいちょう)」、「帆立貝形前方後円墳」、「石棺」の3つです。今回は唐櫃山古墳とはどういった古墳なのか、という概説的な部分をお話します。
唐櫃山古墳は、近鉄南大阪線の線路敷設で少し削られ、府道堺・大和高田線の敷設で墳丘の大半が失われました。昭和30(1955)年に調査が行われ、竪穴式石槨(たてあなしきせっかく)に石棺が埋納されていたことがわかっています。その後、平成12(2000)年度、平成19(2007)年度、平成21(2009)年度の歩道拡幅工事に伴い、大阪府教育委員会による調査が実施され、古墳の築造方法や周濠(しゅうごう)が確認されました。部分的な調査でなかなか全貌はわかりませんでしたが、当市教育委員会によって、平成24(2012)年に調査が実施された際に、前方部や後円部上段に葺石(ふきいし)が、後円部テラスには埴輪列が伴うことがわかりました。古墳の大部分は失われてしまいましたが、残された部分の遺存状況が良好なことや、大規模な前方後円墳の周囲にある帆立貝形前方後円墳であることが評価され、国史跡に指定されることとなったのです。
次回からは先に挙げた3つのキーワードを中心として、唐櫃山古墳とはどういった古墳だったのかを説明していきます。
(文化財保護課 泉 眞奈)

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