【百舌鳥・古市古墳群世界遺産登録5周年! 6.世界遺産の未来への継承】
古市古墳群の古墳が造られたのは、今から1600年以上前のことです。墳丘や堤はもとの地形をたくみに利用し、多くの土を盛って形を整えています。土を盛るにあたっては、簡単にはくずれないように、当時の土木技術の粋を集めた工法を用い、丁寧な施工を行っている様子が発掘調査で明らかとなっています。
ところで、完成した古墳は、1600年の間にさまざまな変遷を経てきました。古代の開発で、地上から姿を消した小さな古墳がいくつもあります。また、室町時代には大きな前方後円墳でも、墳丘が城として利用されたものがあります。城として利用された古墳は、墳丘の形が大きく変えられています。このことや、そもそも築造後1600年も経過していることから、表土が流失しているものも認められます。
津堂城山古墳も、室町時代に城として利用され、表土の流失している部分のある古墳の一つです。流失がひどくなってきたため、それを防ぐために墳丘の修復を目的とした整備を数か所で行いました。
整備にあたっては、まず麻製の土のう袋に粘り気のある真砂土(まさつち)を詰めたものを作ります。作った土のう袋は、数百袋に及びました。そして、墳丘斜面の表土流失部分を覆うように、土のうを積んでいきました。土を詰めた数百袋の土のうを持って斜面を登りながら積んでいくのは大変な作業で、古墳築造時の作業を思い、あらためて古墳築造には大きな労力が必要であったことを実感しました。
さて、土のうを積み終わると、その表面を植生マットで覆います。このようにして、墳丘の保護を行いました。整備を行った部分は、その後も新たな土の流失などは認められず、良好な状態を保っています。
このように、古墳を保護するためにさまざまな方策を行っています。状態をよく観察し、適切な対応をすることで、これまで守られてきたのです。
世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」は、私たち人類共有の、かけがえのない貴重な財産として、これからも大切にし、未来の人々に引き継いでいきたいものです。
(文化財保護課 新開義夫)
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