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ふじいでら歴史紀行 206

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大阪府藤井寺市

【唐櫃山古墳の発掘調査から (3)石棺】
唐櫃山古墳からは、竪穴式石槨(せっかく)に納められた石棺と、副葬品が見つかっています。今回は石棺についてお話ししたいと思います。
唐櫃山古墳から見つかった石棺は、家形石棺と呼ばれるものです。近畿地方の家形石棺のなかでは最古相になるものと考えられています。石棺の身は長さ2m44cmと長く、棺の身と蓋を合わせた高さはおおよそ1m程度になります。石棺の表面をじっと見てみると、手斧で削るなどをして石棺が作られた過程が観察できます。そして、内側にはベンガラを塗って(※1)赤く彩られている部分があることがわかります。赤色を塗ることは、魔除けのような意味合いがあったものと考えられています。
石材は、阿蘇溶結凝灰岩(あそようけつぎょうかいがん)(※2)が使用されています。「阿蘇」という名のとおり熊本県で採れる石材です。この石材をわざわざ遠方から運び、使用したのです。石棺に使用する石材が採れる産地や経由地のコネクションがあったということ、切り出して加工・運搬する人員や道具を準備することができた…というように、石の産地ひとつから色々なことがわかります。
では、九州から大阪まで、どうやって巨石を運んだのでしょうか。興味深い実験が平成17(2005)年に行われたので、少し紹介しましょう。
この実験の契機となったのは、高槻市今城塚古墳で平成10(1998)年に発見された石棺です。この石棺は、熊本県宇土市から採れる石材を使用していました。どのように運んだのかという謎を解明するために、実験が行われたのです。産地の熊本県宇土市で石材を切り出し(原石は約20トンあったそうです)、航海し、修羅(木製のそり)で曳く実験が行われました。約7トンの石材を丸木船(まるきぶね)で有明海から玄界灘、関門海峡を通過し瀬戸内海と、34日をかけて航海を成功させました。もちろん、原石を切り出して石棺を掘り出すなど、色々な作業が必要になってきます。石棺一つ造るためにはおおよそ1年はかかっていたのでしょう。このように、石棺を古墳に納めることは大変なことでした。石棺を使用できるほど被葬者の地位が高かったことがわかるのです。
(文化財保護課 泉 眞奈)
(※1)棺にベンガラを塗る例は、藤井寺市内では津堂城山古墳の石棺や、岡古墳の木棺などで確認されています。弥生時代後期から古墳時代前期にかけて、塗られる例が全国にみられます。
(※2)灰黒色が多いですが、まれにピンクがかった色のものもあります。ピンクがかったものは「阿蘇ピンク石」や産地にちなんで「馬門(まかど)石」とも呼ばれます。唐櫃山古墳の石棺は灰黒色の阿蘇溶結凝灰岩です。

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