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豊中市×沖縄市兄弟都市提携50周年特集

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大阪府豊中市

豊中市×沖縄市
兄弟都市提携50周年
出会えば兄弟(いちゃりばちょーでー)~友好の絆を次世代へ~
今年、豊中市と沖縄市は兄弟都市提携から50周年を迎えます。
教育・スポーツ・文化・平和などの分野で友好を深めてきた両市の交流の歩みをふりかえります。

50th anniversary

■Toyonaka City and Okinawa City column
[兄弟都市の由来]
豊中市と沖縄市が「兄弟都市」と名付けられた理由について、沖縄の「いちゃりばちょーでー(出会えば兄弟)」という言葉に由来していると考えられています。また、竹内元豊中市長の著書では、豊中市役所での研修中、両市の職員が机を並べて仕事をしている間に、同僚意識が強くなり、個人同士の付き合いも深まり、いつとはなしに兄弟都市と言われるようになったと記されています。

○昭和39年(1964)
大阪府からの調査団の一員として豊中市の竹内義治元市長(当時は助役)がアメリカ軍の統治下にあった沖縄を訪問した際に、コザ市(現在の沖縄市)の大山朝常元市長と懇談。本土の行政についてコザ市職員の研修の場を探していることを聞き、また、豊中市の沖縄戦戦没者遺族の多くが遺骨も遺品も満足にない状態であることを伝えました。その後、コザ市から豊中市の沖縄戦戦没者遺族に霊石とハイビスカスが届けられました。
※霊石をお持ちの方、ご存じの方は魅力文化創造課までご連絡ください。

○昭和40年(1965)
コザ市職員が豊中市役所へ研修のため派遣され、共に仕事をしながら本土の行政について学びました。昭和56年まで、のべ100人以上が滞在し、いつしかこの研修は「豊中学校」と呼ばれるようになりました。

○昭和46年(1971)
動物園などがある「沖縄こどもの国」がコザ市に建設された記念に、豊中商工会議所などの団体が募金を集め、「将来が明るく楽しいものに」と願いを込めて少年の像『合奏』を贈りました。

○昭和49年(1974)
昭和47年に沖縄が本土に復帰。49年にはコザ市と美里村が合併して沖縄市が誕生。同年11月3日、下村輝雄元豊中市長(左)と町田宗徳元沖縄市長(右)が「兄弟都市宣言」に調印しました。

○平成4年(1992)
豊中市役所第二庁舎の竣工を記念して、沖縄市民から友好のシンボルとしてシーサー像が贈られました。

○平成7年(1995)
阪神・淡路大震災で被害を受けた豊中市に、沖縄市や沖縄市民から義援金や支援物資が寄せられました。
また、被災した市民40人が沖縄市に招待されました。

○平成9年(1997)
豊中まつりで『沖縄がやってくる』と題して伝統芸能や物産を紹介。以降、現在まで続き、沖縄文化の体験・交流の場となっています。

○平成10年~現在まで(1998~)
豊中市と沖縄市の少年少女サッカーチームが毎年相互に訪問し、親善試合やホームステイなどを通して友好を深めています。

○平成26年(2014)
兄弟都市提携40周年を迎え、豊中まつりの前夜祭として沖縄市の青年会のメンバーが、エイサーを踊りながら通りを練り歩く「道ジュネー」を旧能勢街道、岡町・桜塚商店街などで披露しました。
また、岡町図書館に沖縄関連の書籍を集めたコーナーを開設しました。市民団体からの寄付も活用しながら蔵書を充実させています。

○令和6年(2024)
50周年を迎えるにあたり、これまで兄弟を思いやる気持ちで築いてきた絆を次の世代につなぐため、さまざまな記念事業を行います。詳しくは、今後の広報誌やホームページに掲載いたしますのでご覧ください。
【HP】https://www.city.toyonaka.osaka.jp/joho/shoukai/miryoku/okinawa/50year_aniversary.html

問い合わせ:魅力文化創造課
【電話】6858-2876

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