永井直時は高槻藩主永井家の初代・永井直清の孫として生まれました。父の永井直吉は直清に先立って亡くなったため、寛文11(1671)年に直清が亡くなると、34歳の直時がその跡を継ぎました。永井家の家老三嶋氏ゆかりの佛日寺(池田市)には、直時が家臣・三嶋勘左衛門に宛てて、幕府から相続を認められた時の様子を伝える手紙が残されています。
この手紙によると、直時は江戸幕府の老中たちと対面し、家督と高槻藩の相続を認められました。老中たちからは、直清の死後、喪が明けてすぐに家督を継げることは異例であると告げられています。特に老中阿部忠秋は、直時の家督相続は直清の功績によるものではなく、直時が幕府によく仕えてきたからであると激励しており、直時は感涙を浮かべたと記しています。
この手紙は90cmにも及ぶ長文のもので、直時がそれぞれの老中から言われたことを事細かに記しています。直時は、勘左衛門が知ればさぞ喜ぶだろうと思って詳しく伝えているのだと繰り返し述べています。手紙からは、家督相続と老中たちからの言葉をうれしく思い、信頼する家臣と喜びの気持ちを分かち合おうとする直時の姿が鮮やかに浮かび上がってきます。
(しろあと歴史館)
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