■祖父が残した場所でレストランがオープン。
ー店名のとおり、ここはとても居心地が良いのですが、摂津峡という自然豊かな場所でレストランを開店したのは、どういう経緯からだったのですか?
▽「もともと、電線事業で財をなした祖父が、戦後すぐに摂津峡一帯の土地を買ったそうです。その後、摂津峡公園をはじめ、ほとんどの土地を高槻市に寄付したのですが、終の住処として一部の土地を残しまして。僕が物心ついた時には、もうおじいちゃんは亡くなっていたけど、おばあちゃんがここで暮らしていて、僕が小学4年生の時に父が店をやり始めました」
ー今から27年前のオープンになりますが、建物などは当時から変わっていないのですか?
▽「外壁などは補修したりもしてますが、基本的にそのままですね。開店当時のこと、父に聞きます?今も料理を手掛けているので、厨房にいますけど」
ーぜひお願いいたします。
(調理をしていた紘平さんの父・市川利昭さんが同席してくれました)
▽利昭さん「親父がこの一帯の土地を寄付した時、将来の若者に自然を残してほしいと市にお願いしたという話を聞きました。私は、そんな大きなことはできないけど、摂津峡に来られる方に何かお返しをできたらいいなというのがこの店を始めたきっかけになります」
ーオープン当時の店の様子を教えてください。
▽利昭さん「最初はコーヒー一杯をお客さんに出すのも緊張してたのをよく覚えていますね。ちょうど開店したのが桜が咲く季節で、オープンと同時に店の前に多くの人に並んでいただいて、私と妻の2人でやろうとしてましたが、2人とも飲食店の経験がないもんですから、もう、わやくちゃになりました(笑)」
ー30年近く前の光景が目に浮かぶようです。利昭さん、貴重なお話をありがとうございました。
■アジアをぐるっと回ったバックパッカーの旅。
ーおじいさまが自然を残したかった“将来の若者”である紘平さんにとって、摂津峡とはどのような存在ですか?
▽「そうですね。たまたまうちはここにおばあちゃんの家があって、小さい頃から親しみがあるという感じですね。高校生の時には店の裏でよく川遊びをしていましたし、昔は知られざる飛び込みスポットもあって、よくザボーンとやってましたね。高槻の人にとって、摂津峡は庭みたいなもので、ちょっとしたことで『摂津峡行こうや』ってなると思います」
ーお店に関わり始めたのは、いつ頃からなのでしょうか?
▽「高校1年生ぐらいから、週末は店でのウエディングを手伝っていました。おいしいごはんが食べられるしラッキーという感じで(笑)。当時はガーデンウエディングがまだ珍しい時代で、うちの母がなかなかやり手で盛況でしたね」
ーその流れで店で働くようになるのですか?
▽「いえ、大学を卒業後、運送会社で働いてお金を貯めて、しばらくバックパッカーの旅に出ました」
ーどのあたりを旅されたのですか?
▽「神戸から船で中国の天津に渡って、『三国志』が好きだったので蜀の国があった成都に行って、鳥葬が見たくてチベットに行きました。その後、中国をぐるっと回って、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、インド、ネパールを巡って、兄が結婚するということで一度日本に戻ってきて、その間にバイクの免許を取って、インドへ戻ってインドでバイクを買ってインドを一周してスリランカ、香港、モンゴルに行って平成22年に帰国しました」
ーすごい!アジア制覇ですね。旅はいったんそこで終わりに?
▽「いえ、なんならずっと旅しておきたかったのですが、親に『フラフラしてるんなら店を手伝え』って言われて(笑)、平成24年に店に入って、そのまま現在に至るという感じです」
ーその頃の摂津峡はどんな感じだったんでしょうね。
▽「市外から摂津峡に来る方が増えて、バーベキューをした後の炭やゴミがそのまま残るなどの問題が多かった気がします。平成30年に高槻市が摂津峡でのバーベキュー禁止の条例を制定してくれてから、良い方向に風向きが変わってきたかなと思います」
・音楽好きの市川さん。お店にはピアノが。[キッチンスヌーグ]は高槻ジャズストリートの会場にも。
・7月・8月はバーベキューやサウナを利用する大学生で賑わいます。
■ここにしかない環境を生かして、地域に還元、貢献したい。
ー美しい摂津峡が戻りつつある中、紘平さんが平成30年に[キッチンスヌーグ]を受け継いだということですが、そこからの変化はありましたか?
▽「そうですね。1990年代にうまくいっていたビジネスモデルが少し古くなってきて、シフトが必要かなと思っていたタイミングだったので、裏庭でグランピングやテントサウナ、キャンプなどをするようになります。僕自身、アウトドアが好きだったこともあり、始めやすかったですね」
ー摂津峡の自然を最大限に生かした試みですね。屋外にはテラス席も設けられています。
▽「最近は、ペット連れの方もよく来てくださっているので、そういう方々が気持ちよく過ごしていただけるように、ここ数年で増やしています」
ー昔ながらの良さは残しながら、今の時代に合った[キッチンスヌーグ]に進化中というわけですが、今大切にしていることはありますか?
▽「こういう恵まれた土地を持っていてラッキーですよね、とよく言われるんですよ。だからこそ、自分だけのものにするのではなくて、地域に還元、貢献できるようにしたいと思いながらやっているので、それをずっと続けていければいいなと思います。そのためにここへ来てくれたお客さんとのコラボをよくやっていまして。たとえば近所にある聖ヨハネ学園の教員さんと仲良くなったので、子どもたちが自分たちで焚き火をして料理をしたり、ヨガの先生と知り合ったら、ヨガとピザ焼き体験をしたり。貢献できることはなんでもやりましょうって気持ちがあるので、ここをいいように利用してもらえればと思っています」
・会社員だった父・利昭さんは、家族の「やったら」という後押しもあり店をオープン。
ーこの環境を生かして地域と連携していくことは、とてもすばらしいことですね。高槻の未来のためにやっていきたいことがあれば教えてください。
▽「いま40歳前後の同世代の高槻な人とのつながりも多いのですが、たとえば樫田の友達が自給自足のコミュニティを作るなど、みんな自分たちがやりたいことをそれぞれやっていて。方向性は違うかもしれないけど、それがいい感じに交流したり、つながったりしていけばいいなと思います。[キッチンスヌーグ]もその一つとして、この自然が生かされてみんなが気持ちよくなるようなこと、ここでしかできないことをやっていきたいですね」
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