■100年を目指して 走り続ける
令和6年2月、高槻市営バスは70周年を迎えます。70年の間、利用者急増やオイルショック、新型コロナなど、さまざまな出来事がありましたが、市民の皆さんに寄り添い走り続けてきました。
今回の特集では、市営バスの歴史や魅力、70周年を記念したさまざまな企画をお知らせします。
▽市営バスの歴史
・昭和29年2月
市営バス開業
・昭和40年代
人口急増期。バス利用者も増える
・昭和50年代
利用者が減り負債を抱える
・昭和60年代
負債を解消し黒字経営へ
・平成25年
全車両バリアフリー化
・平成30年
2タッチ方式(ICカード乗車)導入
・令和6年
2月開業70年
■これからも皆さまに愛される市営バスに
・市営バスマスコットキャラクター たかつき ばすお
いろいろなイベントに参加して市営バスの魅力をPR中。名前は平成27年に全国各地から寄せられた名前の中から決定。食いしん坊で、楽しいことや子どもが大好き
「歴代のバス車両の一部を紹介するよ 当初は運転席より前にエンジンがあるボンネットバス。昭和30年代からはより多くの乗客が乗れる箱型バスに。昭和末からはデザインもグリーンに変更されました」
※詳しくは本誌をご覧ください。
■特別対談 市営バスの「これまで」と「これから」
髙橋愛典(よしのり)さん
自動車運送事業審議会会長近畿大学経営学部教授。交通・物流を研究。平成16年から市営バスの経営について検討する審議会の委員に、平成26年から会長に就任
西岡博史さん
企業管理者平成29年から自動車運送事業管理者、昨年8月から水道事業も担う現職に。IC化、全車両のバリアフリー化、財政健全化など、時代に応じた取り組みを積極的に推進
◇市営バスの歩み
髙橋 令和6年2月で市営バスが70周年を迎えられるということで、記念すべき年ですね。バスの歴史は長く、17世紀フランスの哲学者ブレーズ・パスカルが考案した乗合馬車が起源と言われていて、安い運賃で一定の路線を走る公共交通機関の始まりでした。日本では諸説ありますが、明治36年の京都での乗合自動車の運行が始まりとされています。
西岡 日本でも120年も前から重要な交通手段の一つとしてバスは利用されてきたわけですが、高槻で市営バスが開業した昭和29年頃はまさにバスのブームが起き始めていた時代ですよね。
髙橋 そうですね。昭和30年代ごろは日本各地で公営バスが開業していたときでしたね。高度経済成長で、人口も急増していくのに合わせてバスの利用者も増えていきました。
京阪神の都市圏の郊外は都市化や宅地開発が進んでいって、高槻もその流れに沿って人口が急増していきました。
当時は公営バスがあるということが都市の格を高める、ステータスとなっていた時代だったので、多くの自治体がバスを持つことを考えていたようです。
西岡 昭和50年代に入り、バスの利用者はピークを迎えました。それ以降は乗用車や自転車の利用が増え、バス以外の通勤通学の手段が増えていって、全国的にもバスの利用者が減少傾向になっていきました。
髙橋 私が市営バスの審議会に参加させていただいたのが20年ほど前でしたが、その頃には全国的にバスの利用者はどんどん減り続けている状態でしたね。
論文を書くときも「バスの利用者がどんどん減っている、これからどうしていくのか」と前置きしていました。現在でもあまり状況は変わらず、首都圏以外では利用者が減り続けています。
◇公営バスであることの強み
西岡 市がバスを運営していくことのメリットの一つは、市が行う施策と一体化して事業を行えることだと思います。開業当時は市の人口を増やすために、市民の移動手段を確保するということで市営バスが設けられました。その頃はバスの利用は通勤通学が中心でしたが、今では買い物やお出かけなど、より生活に密着した使い方に変わってきています。
市では現在、市民の声を聞きながら、子育てのしやすいまち、福祉のまちづくりに向けてさまざまな施策を行っていて、市営バスもその施策に合わせて計画・運営を行っています。それが結果的に公営バスとして70周年を迎えられた理由の一つだと思っています。
髙橋 おっしゃるとおりで、行政の一機関であることで、他の部署の人と交流できたり、調整ができたりと、メリットがありますよね。市全体の施策の中で公営バスをまちづくりの一つのツールとして活用できるのが強みですね。
西岡 市と連携することで、お客様である市民の生活に合わせた施策をバス事業でもやってこれましたし、これからもそのように運営していかなければならないと思います。
◇高槻独自の面白さ
髙橋 仕事柄バスに乗ることが多いのですが、高槻の行先番号の振り方は面白いですよね。一般的には路線ごとに往路も復路も同じ系統番号が振られることが多いですが、高槻では鉄道駅に向かうバスはどの路線でも全て同じ表記になっています。JR高槻駅南行きだと全て「1番」、阪急富田駅行きだと「4番」。
高槻は鉄道に乗って大阪や京都に行く人もいますし、駅まで行けばいろいろと買い物をできますから、鉄道駅を中心として路線が伸びていますよね。駅を中心とした路線の作りが行先番号にも表れていて、高槻の特徴が出ているなと感じます。
もしかしたら住んでいる人もご存じないのかもしれませんが、こういうちょっとした違いを知るために、他のまちのバスと乗り比べてみるのも面白いですよね。
西岡 そうですね。高槻の場合は開業当初から鉄道の駅を中心に路線が放射線状に伸びていったので、そういう番号の振り方がやりやすかったのかもしれません。
髙橋 市外から来た人も駅に向かいたいときはこの番号に乗ればいい、というのが分かると大きいですね。バスの乗り方って会社などによって違うので、こういう高槻ならではの乗りやすさとか使いやすさが伝わるとより利用してくれる人が増えると思います。
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