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【たかつき歴史アラカルト117】藤井竹外(ちくがい)の日記と息子又一

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大阪府高槻市

藤井竹外は幕末の高槻藩士で、頼山陽(らいさんよう)や梁川星巌(やながわせいがん)に学び、一句七言で四句からなる七言絶句を得意とした漢詩人です。竹外は淀川などを題材に情景を詠んだ名作の数々を残していますが、そんな彼の日記があります。
竹外の日記は安政2(1855)年から安政6(1859)年にかけての記事が残っていて、分量は罫紙9枚分、日付で言えば50日分ほどです。日記からは竹外の漢詩人としての動向や、詩作の様子はほとんど見えません。一方で、多くを占めるのが、竹外の長男である又一(貞臣)に関する記事です。
日記最初の日付には、息子の武者修行の手筈が整ったことを喜ぶ様子が書かれています。又一は文芸に達者な父と異なり槍術などに秀で、武芸の道での立身出世を目指していました。竹外は息子のため、柳河藩(現在の福岡県柳川市)での武者修行の手配をし、さらに九州各地の名所や道場などを列記したガイドブックを手作りして渡しています。又一が出発するまでの間、親族や同僚の藩士らの元へ息子とともに訪れ、送別の宴を開き、皆で喜びを共有しています。又一が修行に出てからは、息子からの便りが来ないことを気にしたり、九州への仕送りのために自らの硯を売ってそのお金に充てたりと、息子のことを案じています。
この竹外の日記からは、息子の成功を願い、離れた土地で元気にやっているかを気にかける、父親としての姿が深い愛情とともに伝わってきます。
(しろあと歴史館)

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