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【たかつき歴史アラカルト120】交通の要所・梶原

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大阪府高槻市

京都と大阪の中間にある高槻市は私たちの生活を支える主要な交通路が交錯しています。特に京都寄りの梶原地区は、山地と淀川に挟まれた地域に主要な鉄道、道路がひしめき合う交通の要所となっています。
さて、古代の日本で最も重要な交通路は、大陸との玄関口である九州大宰府(福岡県)と奈良の都を結ぶ「山陽道」でした。文献によると、山陽道には約16kmごとに宿泊施設や馬を備えた公的施設の駅が設けられ、高槻にも置かれたことが記されています。
梶原南遺跡(梶原4ほか)では、発掘調査で、規則的に並ぶ掘立柱建物群や木簡、役人が用いる帯金具が出土しています。これらは一般のムラではなく古代の役所の特徴を示すことから、続日本紀に記された山陽道「大原駅」の有力な候補地となっています。
当初の山陽道は、平城京から八幡市まで北上し、枚方の「楠葉駅」から淀川を渡り、梶原地区の大原駅を経由し、はるか大宰府へと向かう幹線道でした。平安京への遷都後は、楠葉へ渡る道も大原駅も廃されますが、京都から梶原地区を経由して高槻を横断するルートの重要性はますます高まり、後に国道171号の前身となる西国街道(府道西京高槻線)になりました。
いま、梶原周辺では新名神高速道路建設工事の真っ最中。巨大な橋脚がいくつも立ち並び、淀川に橋が架かろうとしています。遷都とともに廃された古代の都市計画道路・山陽道のルートが、くしくも1,300年余りを経て現代によみがえろうとしているのです。
(埋蔵文化財調査センター)

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