■2人で焼き物を学んだ沖縄の地から高槻へ。
ー高槻生まれの友美さんと北海道生まれの央巳さんが出会ったのが、沖縄のやちむん(焼き物)のメッカ・読谷村。それぞれどうして南国の地で陶芸をすることになったのでしょう?
▽友美「私は、通っていた冠小学校で焼き物の授業があって、そこで土鈴を焼いたことが大きかったです」
ー小学校のときに焼き物ができたのは貴重な体験ですね。
▽友美「そうなんですよ。それからずっと焼き物をやりたかったのですが、大学の時にハマった自転車旅行で沖縄を訪れた時に、沖縄でなら見習いができる、沖縄で学びたいと思いました」
▽央巳「私は、小さい時から、焼き物に限らず職人になりたいと思っていて、沖縄に行った時に大きな登り窯を見て、ここで働きたいなと思って弟子入りしました」
ーちょうど同じ時期に沖縄の窯元にいて、それぞれ別の師匠についていたそうですが、窯同士の交流などはあったのでしょうか?
▽央巳「同年代の若者が北海道から九州までいろんなところから来てましたから、違う工房でもわりと横のつながりはありました」
▽友美「みんな仲良くて、飲んだりしてたよね」
ーとても楽しそうな沖縄修業時代。そしてその後、友美さんは高槻に戻られるわけですね。
▽友美「はい。最初は戻るつもりはなかったんですが、親方をはじめ沖縄の人が地元の土や木を使って焼いているのを見てきたので、自分の生まれたところで、ものづくりをしたいなと思って戻ってきました」
ーその時、央巳さんは?
▽央巳「私はその頃はまだ沖縄にいて、友美が『先帰るわー』と言って出ていくのを見送りましたね」
■物置きになっていた廃屋から家と窯を手作り。
ー[中ノ畑窯]があるのは、高槻の中でも自然あふれる樫田地区ですが、友美さんは帰ってすぐにここで窯を始められたのですか?
▽友美「土地を探すのにだいぶ時間がかかりました。あちこち候補を見て回っている時に、高槻市がやっているブログを見てたら樫田も出ていて。いいところだなと前から思っていたので市役所に電話して繋げてもらって探したら、ここがちょうど空いていた。ほぼ残っているのは屋根だけの家でしたが、なんか風の通る場所だなと、このまま生かして工房を作りたいと思いました」
▽央巳「しばらく誰も住んでなくて、壁も崩れた廃屋みたいなところが気に入ったそうです」
▽友美「沖縄で培った“壊すんじゃなくて、あるものを生かす”というのを軸にしたいなと思っていたので、ここでやろうと。まず先に生活空間、そして窯を作りました」
ーそこに央巳さんが加わるわけですね。
▽央巳「『窯作ったらしいよ』といううわさを聞いて、当時岐阜まで行く用事があったから、じゃあちょっと窯見せて、とここに寄ったんです。なんかすることあるか?と聞いたら、廃材などが散らばってたので、『じゃあ、これ切ってまきにして』と言われて。役に立つと思ったんでしょうね(笑)、結婚することになりました」
・窯用には針葉樹、まきストーブ用には広葉樹と、佐藤家の生活にまきは必要不可欠なものです。
・「器を作る時は、どんな料理を盛るかを想像します」と友美さん。
ー沖縄のように地元のものを使いたいということですが、器を焼く時に高槻の素材はどのように使われていますか?
▽央巳「土は焼くのに何トンも必要なので、買っていますが、高槻の土を混ぜるのがこだわりです」
▽友美「買った土だけで焼くと、自分たちの焼き物としては、どうしてものっぺりするので。ひと味付け加える感じですかね」
▽央巳「あとは、焼く時に塗る釉薬(ゆうやく)も自分たちで調合していて、田んぼをやっているのでもみ殻の灰とか、まきストーブの灰も原料にしています」
ー農業もやってらっしゃるんですね。
▽央巳「そうなんです。ご近所さんからちょっと田んぼをしてもらえへんかって声をかけてもらって。おかげで、もみ殻も役立っています」
■日常とつながりながら仕事ができる場所。
ー今はいろんなところに器を卸されたり、イベントに出展されたりしているので、焼く数も増えてきているんじゃないですか?
▽友美「それがなかなか増えなくて」
▽央巳「本当はもっと焼きたいんですけど、まきを乾かしたり土の準備をしたりしてると、年に4、5回焼くので精一杯です」
▽友美「沖縄で学んだやり方がゼロから器になるまでを自分たちでっていう仕事だったので、なるべくそれは変えたくないですね。もっと効率のいい方法もあるのだろうけど……年に何回かだけしか焼けないというのも、仕方がないことかな」
・「土は火に弱いと溶けたりするのですが、このへんの高槻の土は強いですね」と央巳さん。
ー2人が理想とするやり方を、この場所で実現しているんですね。ここで焼き物をしていて、一番の喜びはなんですか?
▽友美「生活も仕事も楽しい。仕事が生活のモチベーションを上げることもあるし、生活が仕事のモチベーションを上げることもある。日常とつながっている感じで仕事ができていることが一番うれしいことかもしれませんね」
▽央巳「使ってもらえるようになったのが一番うれしいですね。芸術作品を作りたいわけではなく、日用品を作りたいので」
・「2人の統一性ないでしょ?(笑)。別人格だから、作るものもそれぞれになっちゃいます」と友美さん。
・器は、750℃で素焼きしたあと、1,250℃で本焼きします。
ー北海道から沖縄に移り、それから高槻にやって来た央巳さんですが、樫田に来て何か感じたことはありますか?
▽央巳「市街地ではなく樫田に来たのがよかったのかなと思います。知らなかったことをいっぱい知ることができたし。2人の子どもたちが通った樫田幼稚園や小学校に関われたのもよかったですね」
▽友美「私たちにとって小学校に関わることはすごく大切なことだと思っています。子どもたちと接することで、古い考えをアップデートできるし、新たに自分の引き出しを開けたりもできるし。それに学校の行事にはいつも地域のご協力をいただいているので、地域の方々と接する機会が増えました」
▽央巳「樫田小学校は、校区以外からもたくさんの子どもたちが通っています。せっかく来てくれたからには楽しんでほしいという気持ちがあるので、何年もやってなかった流しそうめんをみんなで復活させたりしています。やっちゃおうと思ったら相談できる先輩がいたり、面白そうだねと応援してくれる保護者もいたりする。子どもたちも楽しそうに通ってくれているのがうれしいですね」
▽友美「もっと樫田に住んでくれる人が増えたらいいのにと思います。自然も家も手を入れないと朽ちていきますよね」
▽央巳「子育て世代も増えて、もっと地域が活性化してくれるとうれしいですね」
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