寺院や城、旧家などの屋根にふかれた瓦。考古学では古くから研究が進められ、時代や地域によってさまざまな形や系譜を持つ瓦があることが明らかになってきました。
軒先を飾る軒瓦には巴文(ともえもん)や蓮華文などの文様が見られますが、これらは文様を彫った木型を粘土にスタンプのように押し当てて、同じ文様の瓦として大量に生産されていました。この型を「笵(はん)」と呼び、まったく同じ笵から作られた瓦を「同笵(どうはん)瓦」と呼びます。同じ文様の笵は数多くありますが、それぞれ微妙に異なっています。
同じ笵を繰り返し使うことで、文様の摩滅や割れなどの傷が生じて、瓦にも同じように傷が転写されます。この傷を確認し比較することで同笵と判断することができます。
高槻市には芥川廃寺(郡家新町)、梶原寺跡(梶原1)という二つの古代寺院があり、それぞれ平城宮と同じ文様を持つ軒瓦が出土しています。互いの文様は異なりますが、詳細に観察すると、平城宮の軒瓦と同じ箇所に傷があることから、同笵瓦であることが明らかになりました。
古代国家の一大事業である平城宮建設には全国各地から瓦工人が奈良へ集められました。やがて工事が終わり、高槻へ戻った瓦工人はそれぞれの寺院を修復する際に、都で生産した瓦の一部を運び込んだり、都から譲り受け持ち帰ったりした笵を用いて新たに瓦を生産したと考えられます。
一片の瓦をよく観察することで、高槻と都をつなぐ瓦工人の働きぶりが見えてきます。
(埋蔵文化財調査センター)
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