■梅田への移転と成功を経て、再び高槻の地へ帰還。
ー平成23年には北園町にベーカリーカフェ[コントレイル]も出店するなど、高槻市内で順調に歩まれていたわけですが、その後本店を梅田へ移転することになります。これはどういった思いがあったのでしょうか?
▽「一番大きかったのは、すぐ近くに[サニーサイド]がオープンするというのを風のうわさで聞いたことなんですよ。“えっ嘘やろっ!なんで高槻のこんな場所に?”って(笑)。公園の前やし、大きい店だし、カフェはあるし、駐車台数は多いし…これは負けてしまうなあ。元々移転するつもりはなかったんですけど。これはいったん引かんとお店がなくなってしまうと」
ー実際、[サニーサイド高槻岡本店]は、今も人気でにぎわっていますね。
▽「そのタイミングで梅田の話が知り合いづてにありまして。でもちょっと迷ったんですよ、大都会すぎて(笑)。一方で僕のパンは、梅田でも受け入れられるという気持ちもあって。今が打って出るチャンスなんじゃないの、でもリスクも伴うんでずっと考えていた。その頃結婚を控えていて、妻に『チャレンジしたほうがいいんじゃない』って後押しされて行った感じですね」
ー梅田でも連日行列ができるなど、大成功を収めるわけですが、令和5年3月に店を閉めて、7月には[丹青]として、高槻で再出発します。
▽「梅田店をずっとやっていくことはできたんですけど、自分を取り巻く環境、自分の考えも年を重ねるにつれて変わってきました。めっちゃ売ってるお店よりも、こぢんまりしているけど、すごく楽しそうにパンに打ち込んでいる知り合いが、見ていて心の底でうらやましいと思ってる自分がいたんですよ。梅田店をやってて、なかなかパンに集中できないこともあったんで、一職人として集中してパンをやりたいなあと。心のしんどさよりも、今みたいに朝早く来ていっぱいパンを作るしんどさの方を取りたいと思って。この場所は契約したまま残していたので、ここでやろうと決めました」
ー再び戻ってみて、船井さんにとっての高槻とはどういう場所ですか?
▽「僕自身は小浜出身ですけど、[ROUTE271]はメイド・イン高槻。なので、[丹青]は高槻の星になりたいと思っています。元々は表に出るような、俺が俺がというタイプじゃないんですけど(笑)。[ROUTE271]が梅田に移転した当初は、“高槻を裏切った”みたいなこともよく言われたのですが、それは愛情の裏返しなんかなとも思ったり。やっぱり戻ってきた時に喜んでくれた人がいっぱいいたのはうれしかった。だから、これからもここで輝き続けられればいいですね」
・「[サニーサイド]の社長さんとは、今では仲良くさせていただいてます」と船井さん。
・「満足いくまでは出さないので、なかなか新作は出ないですね」と船井さん。
・梅田の[ROUTE271]がなくなり、船井さんのパンを買えるのは高槻だけ。
・「新たにチャレンジしたかったので、[ROUTE271]と同じパンは作っていません」と船井さん。
・午前10時の開店前の店内では、気持ちのいい緊張感が流れています。
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