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【たかつき歴史アラカルト126】淀川の堤防工事とトロッコ列車

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大阪府高槻市

数多くの洪水が起きた淀川は、明治時代以降、近代的土木工事による改修が繰り返されました。昭和14(1939)年から始まった堤防を強化する工事では、淀川右岸(高槻市側)と左岸の両岸で、蒸気機関車がけん引するトロッコ列車(土汽車)が堤防用の土の運搬に活躍しました。
トロッコ列車は軌間(レールの幅)が1,067mmでした。現在のJR京都線と同じで、阪急京都線(1,435mm)よりは狭いものです。蒸気機関車は小型の20t型で、トロッコ(土運車)は1両当たり3立方メートルの土を積みました。これは現在の4tダンプカーに相当します。1両の蒸気機関車が25両のトロッコをけん引しました。
土取場は芥川の中流、当時は大蔵司山と呼ばれた現在の南平台一丁目にありました。ここは高槻城跡を拠点とした陸軍工兵第四大隊(高槻工兵隊)の訓練場でした。
芥川右岸の土取場を出発したトロッコ列車は堤防上を進み、郡家本町にあった橋を渡って左岸に出て、芥川の堤防上を南下します。芥川大橋を過ぎてから再び川を渡って右岸に出て、淀川堤防へと向かいました。土木工事現場に到着すると、トロッコを傾けて土を降ろしました。レールは柱本四丁目辺りまであったようです。
淀川堤防の強化に貢献したトロッコ列車ですが、昭和30年代になるとダンプカーに取って代わられました。今も郡家本町の芥川の川中には当時の橋脚の基礎が残り、「高槻まちかど遺産」に選定されています。
(しろあと歴史館)

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