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特集 未来へ続く 将棋のまち(3)

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大阪府高槻市

■これから将棋を始める子どもたちに託す思い。
-そこから棋士を目指すわけですね。プロになったのは何歳の時ですか?
▽「養成機関で一つずつ段位が上がっていき、将棋界の場合は、四段からプロの棋士として認められるのですが、四段になったのは18歳の時です。年齢的には平均より早かったのですが、この世界に入るのが早かったので、プロになるのにはずいぶんかかりましたね」

-そこから長くご活躍され、通算勝利数996勝は歴代10位という素晴らしい戦績です。引退される前は、最年長棋士として活躍されていて、初めてのタイトル・棋王も高槻在住時に獲得されました。高槻に居を構えられたのはいつ頃ですか?
▽「32歳の時です。引っ越す前は大阪市内におったんですけど、北摂がいいかなと思い、何軒か見た中でここに決めました。その時は高槻に将棋会館が来るなんてまったく思ってもいなかったんですけど(笑)」

-高槻がいいと思った決め手はなんだったんでしょう。
▽「一番は静かなところですね。ここ日吉台は、当時はあたり一帯が開発されて10年ぐらいで、まだバスの本数も少なくて空き地も所々ありましたから。今も変わらず静かでいいのですが、家で将棋の勉強などもしますので、騒々しい環境だとやっぱり集中できませんからね」

-ここに来られて45年が経つわけですが、その間に高槻は変わりましたか?
▽「ずいぶん変わりましたね。私がこちらに来た時は、JR高槻駅も高架化されたばかりで、周りにタワーマンションなどの高いビルなんかほとんどなかったので、すごく発展して驚きですね。それでもまだ少し郊外に行くと豊かな自然も残っているし、ここに住んでよかったと思っています」

-その成長著しい高槻に、[関西将棋会館]が移転してきました。将棋の世界で長く活躍されてきた桐山さんとしては、これから高槻の将棋がこうあってほしいという思いはありますでしょうか?
▽「将棋に親しむ子どもがもっと増えてほしいですね。今、小学1年生へ高槻の木を使った駒を配ってもらっているので、そういうところから将棋に興味を持ってもらって、プロを目指す子どもが出てきたらうれしい。できれば高槻市出身のタイトルをとる棋士が出ればいいと願っています」

・将棋の戦法本など桐山さんが著者の本も多数あります。
・文化スポーツ振興事業団理事長として、「市民の方に喜ばれる催しをやっていきたい」

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