■三宅町の50年間
○ここまで、現在のお話を伺いましたが、この50年間が、三宅町にとってどのような50年だったか、過去についてお聞きできればと思います。
森田:鈴木さんは村から町になった時を経験されていますよね。
鈴木:私が高校1年生の時に村から町になりました。今でも覚えています。大阪の学校に通っていましたが、先生から「町村変更があったんですね」と言われ、周りの友人から「まだ村とかあるんだな」と笑われたことを、よく覚えています。
森田:そこから社会人になって、町の変化をよく見てらっしゃるんだろうなと思います。三宅町が最も活気づいていた頃は、どのような様子だったのでしょうか。私も子供だったので、バブルの時とか、人口が一番多い時とかが想像できなくて。
鈴木:そうですね。当時はまず人口が多くて、子供がたくさんいました。今みたいにインターネットはなく、隣近所とのさまざまな付き合いやコミュニケーションがありましたね。婦人会だったり、消防団だったり、子供会だったり、みんな活気がありました。今のようにロードサイド店が近くにはなかったので、まだ商店街というのもあって。小柳にも店がありました。フードショップやお豆腐屋、タバコ屋があった。伴堂とか石見にもあったと思います。
森田:そのお店はいつ頃までは、やられていたんですか。
鈴木:もう30年ぐらい経つのかな。(川西町の)唐院なんて、もう端から端まで、お店があって、映画館もあったくらいです。文房具屋さんだけでも二軒ありました。そのくらい商店街に、活気がありましたね。
森田:お話をお聞きして、やはりそういう小さな商店を起点にコミュニティがあったんだろうなと思いました。お店で毎日挨拶を交わし、『あの人が今日は来ていないな』と気にかけ、様子を見に行くといった、そうしたコミュニケーションがあったのでしょうね。
鈴木:その通りです。
森田:これって会長が仰るように大きいからいいではなくて、実に三宅町らしいというか、小さくても寄る場所っていうのが地域に増えていく、一度昔のような形に戻ることが、非常に重要なのではないかと感じました。
○50年を迎えた三宅町の強みを、行政的な側面、経済的な側面から見て、どういう点だと思われますか。
鈴木:私は三宅町の一つの強みは、町長がよく言われている「日本で2番目に小さい町」だと思いますね。私もプレスリリースなどで情報を出すとき、「日本で2番目に小さい町」からの挑戦と、うまく活用させてもらっています。あと強みとして挙げるとすれば、やはりグローブ産業です。(商工会長として)何かこの旗を上げなければならないとすれば、例えばグローブの町だから、投げてキャッチする遠投大会を開催したいです。最初は2組でも5組でもいいと思います。無理のないところで積み上げていって、グローブの町の歴史として残していきたいですね。
森田:三宅町の「強み」を挙げるとすれば、住民のみなさんの力がすごく大きいと感じています。コミュニティがしっかりと残っているので、これをいかに繋いでいくか、広げていくかが非常に大事になります。その発想から交流まちづくりセンターMiiMoもできました。町内だけではなくて、コミュニティを持っている人たちが出会うことで、三宅町のファンが増え、それが大きな強みだと感じています。
○最後に50年後の未来の三宅町を考えるにあたり、ご自身が50年後に残したいな、残っていたらいいなと思うものは何でしょうか。
鈴木:私は一言で言えば、地域の繋がりは、残さなければならないと思っています。三宅町に住んでいて、例え人口が増えたとしても、誰が住んでいるのか知らないというのはどうなのかな、と。繋がりを保っていくことが、私は大事かなと思います。
森田:まさにそこですよね。
鈴木:これを言ったら小学生みたいだと言われることもありますが、思いやりのある町で、繋がりのある町が一番だと思います。
森田:そうですよね。みんなが楽しそうに「おはよう」と言い合える町が幸せだと思います。元気に「おはよう」と言い合うためには、心身ともに健康であることや、さまざまな要素が必要です。そこをしっかり推し進めたうえで、「おはよう」が言い合える町が、幸せの形かもしれないですね。
▽「地域のつながりは50年後も残さなければならないと思います」
三宅町商工会長 鈴木和夫
1958年生まれ。1980年3月近畿大学卒業。
大学時代から家業の鈴木靴下工場に従事。大学卒業後、その延長で父が経営する鈴木靴下工場に入る。2008年代表取締役就任。2024年三宅町商工会長になる。
▽「コミュニティの輪をいかに広げて、つながるかが大事になってくる」
三宅町長 森田浩司
1984年生まれ。大阪商業大学卒業後は、建設現場での仕事や、生協職員、国会議員秘書、三宅町議会議員など多様な職種を経験したのち、2016年に32歳の若さで三宅町長選挙に当選。県内最年少町長・全国で二番目に若い町長となった。2024年に3選を果たした。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>