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いにしえの風 斑鳩文化財センターだより

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奈良県斑鳩町

■法隆寺東院伽藍の中心的建物の夢殿
今回は、「法隆寺地域の仏教建造物」世界遺産登録30周年記念に合わせて、聖徳太子の住まいであった「斑鳩宮(いかるがのみや)」の跡地に建てられたとされる法隆寺東院伽藍(とういんがらん)の「夢殿(ゆめどの)」について紹介します。
▽「法隆寺東院伽藍」の創建
法隆寺東院伽藍は、法隆寺境内の東方に位置します。鎌倉時代に書き写されたと考えられている『法隆寺東院縁起』によると、皇極天皇(こうぎょくてんのう)二(643)年、聖徳太子のあとを継ついだ山背大兄王(やましろのおおえのおう)等の「上宮王家(じょうぐうおうけ)」が蘇我入鹿の軍勢により襲撃されたため、その住まいであった「斑鳩宮」は荒廃していました。その光景を見て嘆き悲しんだ僧行信(ぎょうしん)が、阿部内親王(あべないしんのう)(のちの孝謙(こうけん)・称徳(しょうとく)天皇)に奏上(そうじょう)(※)し、天平十一(739)年に聖徳太子の供養のため、斑鳩宮の跡地に創立されたのが法隆寺東院(上宮王院)であるとされています。このように東院伽藍は、法隆寺西院(さいいん)とは別の寺院でしたが、十二世紀前半頃に法隆寺になり、塔・金堂がある伽藍を「西院」と呼ぶのに対して「東院」と呼ばれるようになりました。
(※)天子に申し上げること

▽夢殿
東院伽藍の中心建物である夢殿は、八角形をした礎石立建物(八角堂)で、屋根の頂部には青銅製の華麗な宝珠(ほうじゅ)がのっています。
夢殿は当初、「八角仏堂」と記されていましたが、平安時代頃から「太子が仏殿に入って瞑想(めいそう)されたところ、夢の中で仏から教示を受けた」という伝承に由来し、「夢殿」と呼ばれはじめたとされています。
本尊は、飛鳥時代に造られた、通称「救世観音像(くぜかんのんぞう)」と呼ばれる、像高約1.8メートルの楠(くすのき)の一木造りの仏像です。聖徳太子が存命の時につくられた、太子等身像と伝えられています。通常は秘仏のため拝観することはできませんが、春と秋の一定の期間に特別開帳されます。

▽奈良県内の八角堂
奈良県内にはこの法隆寺東院伽藍の夢殿以外には、法隆寺西院伽藍の西円堂(さいえんどう)のほか、養老五(721)年に元明・元正天皇が亡き父である藤原不比等(ふじわらのふひと)のために建立したとされる興福寺北円堂(こうふくじほくえんどう)(奈良市)や、同じく藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が父内麻呂(うちまろ)のために建立した興福寺の南円堂(なんえんどう)(奈良市)、藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)により建立された栄山寺(えいさんじ)八角堂(五條市)、の五つがあります。このうち、夢殿と栄山寺八角堂は奈良時代のもので、夢殿は現存する最古のものです。このように八角堂は、人物を供養(追善)するために建てられた仏堂となっています。
最近では、菅原遺跡(すがわらいせき)(奈良市)で、円形の建物跡が見つかり、行基(ぎょうき)の弟子達が行基の追善のために建立したものではないかと話題になりました。

世界遺産登録30周年記念特別展「法隆寺地域の仏教建造物」は斑鳩文化財センターで12月17日(日)まで開催しています。
ぜひ、この機会にご観覧ください。

■秋を彩るコスモス
10月下旬、史跡中宮寺跡歴史公園や国宝・法起寺三重塔周辺でコスモスがきれいな花を咲かせました。
撮影した日は、さわやかな秋晴れの日曜日ということもあり、地域住民や観光客らが多く訪れ、色鮮やかなコスモスを写真におさめる人や、公園内をかけ回る子どもたちなどで賑わっていました。
※コスモスは「斑鳩の里」の景観保全や観光客増加を目的に、町の農家やボランティアの協力で栽培されています。

問合せ:斑鳩文化財センター
【電話】0745-70-1200

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