文字サイズ
自治体の皆さまへ

いにしえの風 斑鳩文化財センターだより

11/30

奈良県斑鳩町

■斑鳩町内にある皇族ゆかりの墓
斑鳩町内に宮内庁(くないちょう)が管理している古墳が2箇所あることをご存じですか?
今回は、11月24日(日)に、文化財担当者による斑鳩町古墳ツアーで巡った古墳の中から、宮内庁が管理している古墳をご紹介します。

◇皇族のお墓とは
天皇や皇后などの墓のことを「陵(りょう)」、その他の皇族の墓を「墓(ぼ)」といい、皇族の墓のことを総称して「陵墓(りょうぼ)」といいます。また、被葬者が特定できないものの、皇族の墓の可能性があるものなどを「陵墓参考地」として定め、「陵墓」とともに宮内庁によって管理されています。
陵墓や陵墓参考地は、前方後円墳や円墳、方墳などの墳丘をもつものや、五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)などの石塔(せきとう)、方形堂(ほうけいどう)や多宝塔(たほうとう)などの建物など、さまざまな形態があります。これらの陵墓は宮内庁により厳重に管理されていて、一般に立ち入ることは禁じられています。

◇富郷(とみさと)陵墓参考地(岡原古墳(おかのはらこふん))
法輪寺と法起寺のほぼ中間に、「岡ノ原(おかのはら)」と呼ばれる独立した丘陵があり、その山頂に、周囲に柵をめぐらせた直径30m程度の円墳の岡原古墳があります。
岡原古墳は、聖徳太子の子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)の墓「富郷陵墓参考地」とされています。しかし、この古墳がある岡ノ原の東側斜面地にある「岡原遺跡」から、岡原古墳のものとみられる円筒埴輪(えんとうはにわ)や形象(けいしょう)埴輪などが出土していますが、山背大兄王が亡くなった7世紀より古い5世紀前半期頃の埴輪と考えられていて、山背大兄王と年代に差があります。なお、富郷陵墓参考地以外の山背大兄王の墓の候補地には、平群町にある西宮古墳(にしのみやこふん)や、斑鳩町西部の竜田川の西側で、現在、西の山住宅がある丘陵地があります。

◇樋﨑古墳群(ひのさきこふんぐん)(中宮寺宮墓地(ちゅうぐうじみやぼち))
中宮寺は、飛鳥時代に創建された聖徳太子ゆかりの尼寺で、16世紀になると、皇族の女性を門跡(もんぜき)(住職)に迎えるようになります。また、皇族や貴族が住職を務める寺院のことも「門跡」と呼びます。
中宮寺から北へ約900mの場所に、中宮寺門跡の墓地である「中宮寺宮墓地」があります。門跡を務めた皇族6人の石塔と、第3世門跡の父である後西(ごさい)天皇を祀る石塔のあわせて7基の石塔が東西に並んでいます。墓地の敷地は、周囲よりやや高い位置にあり、墓地北側のエリアを含めて宮内庁によって管理されています。墓地の敷地は生垣により囲われていて、その中に、直径が10mから15mほどの円墳が8基確認されています。
調査が行わつくられた時期はわかりませんが古墳群は小規模ながら良好に保存されています。

スマートフォンのアプリの「AR藤ノ木古墳散策」の中にある古墳スタンプラリーでも、この2箇所はデジタルスタンプのスポットになっています。ぜひみなさんも巡ってみてはいかがでしょうか。

■秋を彩るコスモス
「斑鳩の里」の景観保全や、観光客の増加を目的として、ボランティアのみなさんの協力によりコスモスが栽培されています。
10月の下旬、史跡中宮寺跡歴史公園や法起寺の周辺では、コスモスが満開を迎え、きれいな花が咲き誇っていました。
さわやかな秋晴れのなか、町民や観光客が多く訪れ、鮮やかなコスモスの花の写真を撮ったり、子どもたちが公園内を元気に走り回ったりと、それぞれの秋を満喫していました。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU