文字サイズ
自治体の皆さまへ

【お散歩日和】出番ですよ~

4/41

宮城県七ヶ浜町

■今、震災の記録を残さなければ
阿部美紀(あべみき)さん(汐南)
「聞き書き七ヶ浜」発行人

「聞き書き七ヶ浜」の第1号の発行は、9年前の2015年。以来、発行は第18号を数えます。きっかけは、震災後にお手伝いさせていただいた「きずな工房」の時でした。
きずな工房は、被災し仮設住宅にお住まいの方が孤立せず、手芸や木工を通した癒しの場所として作られました。しかし、当時は皆さんの気晴らしになる日ばかりとは限りませんでした。
たまたま、皆さんの会話を聞いていて、仙台弁とは違う、わからない七ヶ浜の方言があったんです。「あら、阿部さん、仙台出身なのにわがんないの!」と皆さん大笑い。
いろいろ伺うと、中央公民館のあたりは昔、麦畑だったこと、七中にはバスで通っていたこと、ボンネットバスだったことなど、皆さんが次々と昔の話を始めて一気に場が和んだんです。
特に、自分の子どもの頃の話をすると目がキラッとするんですね。震災で大変だったことでさえもニコニコと話し出す。その笑顔に私自身も助けられました。
いつしか書き溜めたノートは何冊にもなり、震災についての記録として、今残しておかなければとの思いが募り、「聞き書き七ヶ浜」の発行につながりました。第1号を読んでいただいたきずな工房の皆さんからは「おらだづ(私たち)がしゃべったのがこういう風になるんだ」と反響が大きく、続ける喜びを感じました。
「聞き書き七ヶ浜」は工房の皆さんの話に始まり、社会福祉協議会や観光協会などを通して、号を重ねるごとに人の輪は広がり、多くの方々に出会うことができました。
私は汐見台南の団地に住んでいるので、そんなに地元の方と出会う機会がなかったんです。密になったのは震災後です。
七ヶ浜の人の印象は、初め怖かったんですよ。心には鍵が何重にもかかっているようでした。しかし、何度も会っているうちに、いつの間にか全部開いていて、どうぞどうぞって感じになるんです(笑)。
実を言うと、コロナ禍に第20号をもってやめようかと思っていたんです。今でも取材することにためらいはあるのですが、コロナ前に取材した湊浜の話題がたくさんありますし、震災後に七ヶ浜を支援いただいた山梨の方が今、自分の経験を地元の防災活動に生かしていることをお聞きし、ぜひ形にしたいと思うようになりました。しばらくはやめられませんね。
震災も年月が経ち、つい忘れがちじゃないですか。普段は頭の片隅に置いていても、ちょっとしたことで思い出すのと同じように、「聞き書き」七ヶ浜もそうあってほしいと思います。

◎「聞き書き七ヶ浜」は、七ヶ浜国際村や図書センターでもご覧いただくことができます。

◆図書カードをもらおう!《クイズ》
正解者の中から500円分の図書カードをプレゼント。今月号の中にヒントがあるよ!

▽応募方法
答え・住所・氏名を明記の上、6/21(金)まで、ハガキまたはメール(kouhou@shichigahama.com)でご応募下さい。クイズの回答者は町内の方に限ります。4月号の答えは、(イ)

Q.C62形蒸気機関車は、かつて何線を走っていたでしょう?
(ア)仙山線 (イ)常磐線 (ウ)45号線

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU