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歴史民俗ふるさと探訪(56)

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宮城県丸森町

■浄土真宗本願寺派の寺院欄間(らんま)に残る“義民多兵衛細工の龍”
石王山法傳寺(丸森)

町役場から県道丸森梁川線を川田島方面に向かい伊具高校を過ぎて間もなく、右手に浄土真宗本願寺派の石王山法傳寺があります。仙台藩の国勢調査ともいわれている風土記御用書出(ふどきごようかきだし)、安永8年(1779)の法傳寺書出を要約すると次のように記されています。
「福ケ柵にあり、本尊は木仏立像2尺(約60cm)の阿弥陀如来である。竪5間半(約10m)、横5間(約9m)の客殿がある。いつ、誰が開山したのか不明、中興開山は證光坊といい、当住の歸善(きぜん)で7代目である」
丸森町史及び法傳寺の寺伝では、「天正2年(1574)に本願寺派11世顕如上人(けんにょしょうにん)の直弟子である観智上人が開山したと伝えられる」とあります。現在の住職で16代目となります。
浄土真宗は、自ら在家仏教を実践した親鸞聖人が開いた宗派で、どんな人でも“南無阿弥陀仏”とひたすら念仏を唱えて阿弥陀如来におすがりすれば必ず救われるという、他力本願といわれる宗旨です。浄土真宗で行われる行事の中で最も大切にされているのが、開祖親鸞聖人の忌日に営まれる法会(ほうえ)“報恩講”です。法傳寺の報恩講は、毎年11月の第一日曜日に門徒が集まり、法話、会食、交流歓談などを行います。
この法傳寺には、町指定有形文化財の「法傳寺欄間の龍」があります。本堂須弥壇(しゅみだん)の欄間にある龍の彫物で、文政年間(1820年頃)、欠入の久右エ門が願主で、菊地太兵衛の細工といわれています。
菊地太兵衛は竹谷の住人で、先祖は領主から四ツ足門を建てることを許されたといわれ、太兵衛自身も村の世話役をするなど、村人からの信望も厚く、とても信心深い方でした。
文政の頃、圧政に対して一揆を起こそうとした農民たちを抑え、自ら願い出て捕らえられ、獄死したといわれています。後世、人々から“義民太兵衛”と称されました。

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