■第5回 古代の道と笠島廃寺跡
名取市西部の丘陵地には、現在の岩沼市の阿武隈川沿岸から仙台市にかけて、「東街道(あずまかいどう)」と呼ばれる道が通っていたと考えられています。表記は、「東国道」「吾妻海道」「東奥道路」などさまざまありますが、江戸時代の地誌(地域の歴史や名跡を記録した書物)を見ると、笠島周辺の記述では必ずと言って良いほど触れられています。第3回市史の先祖(令和5年6月号)でも紹介した『奥羽観蹟聞老志(おううかんせきもんろうし)』、『封内名蹟志(ほうないめいせきし)』、『封内風土記(ほうないふどき)』などは「往古通行之道」や「古昔東国通行の道」としているため、当時既に古い道とされていたことがわかります。
それを裏付けるように、この道沿いには古代の伝承を持つ名跡が点在しています。例えば愛島笠島には「道祖神(どうそじん)」としても知られる佐さえの倍乃神社や、この道祖神の前を馬に乗ったまま通り過ぎたため、神罰を受けて落馬し、それにより落命したとされる陸奥守(むつのかみ)の藤原実方(ふじわらのさねかた)(実方中将(さねかたちゅうじょう))の墓もあります。また、佐倍乃神社の南側には古代の寺院の跡だと考えられてきた笠島廃寺跡も残っています。
市史編さん事業では、こうした古代の名取の姿の一端を明らかにするため、笠島廃寺跡の調査に着手することにしました。年内に測量調査を実施、来年早々に試掘調査を実施する計画です。その成果は、新『名取市史』の第1弾となる第1巻「原始・古代」(仮)に収録する予定です。
問合せ:市史編さん室
【電話】290-2090【メール】shishi@city.natori.miyagi.jp
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