■第37回 築地塀(ついじべい)の復元
奈良・平安時代、全国は60余国に分けられ、それぞれの国には国府(こくふ)と呼ばれる、県庁クラスの役所が設置されていました。
それぞれの国府には、重要な儀式や政治の中心となる政庁が置かれ、築地塀と呼ばれる土塀で囲まれていました。
多賀城には、陸奥国の国府が置かれていましたが、国家に与(くみ)しない蝦夷(えみし)の地と接していたことから、城柵(じょうさく)と呼ばれる特別な施設でもありました。
そのため、政庁を囲う築地塀のほかに、政庁の外側にある国府の施設全体も築地塀や材木塀(ざいもくべい)で囲まれた、二重の区画で厳重に守られていました。
この外側の区画を外郭と呼んでいますが、外郭に設けられた多賀城南門の復元工事に引続き、今後は、その両脇に取り付く築地塀の復元工事を、創建1300年となる令和6年度の完成を目指して進めていきます。
問合せ:文化財課文化財係
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