西暦724年に造られた多賀城は、令和6(2024)年に創建1300年を迎えました。
多賀城碑には、「靺鞨(まっかつ)国」から多賀城までの距離が刻まれています。なぜ渤海(ぼっかい)ではなく、さらに北にある靺鞨部族のエリアからの距離なのか。ここから当時の日本と周辺国との関係性を読みとることができます。
※画像は紙面又はHPでご覧ください。
●多賀城碑
靺鞨国から多賀城までの距離を記すことは、靺鞨部族を北に住む野蛮な部族とみなす奈良時代の考え方に基づいています。
●渤海の使者(渤海使)が使った秋田城跡の水洗トイレ(復元)
靺鞨部族を野蛮とする一方、渤海国とは友好関係を築いており、秋田城にはたまに訪れる渤海使のために整備した立派なトイレまでありました。
*多賀城創建1300年に向け「歴史の風」を拡大し、「歴史の風 創建1300年 Special」をお届けします。
(令和6年1月号から令和7年1月号までを予定)
問合せ:埋蔵文化財調査センター
【電話】368-0134
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