◆あなたが川崎町に住めば町が奨学金の返還を応援します!
◇故郷で生きる
「一人でも多くの若者を支援したい。特に故郷を担う若者を応援したい!奨学金を使って勉強してもらい、後(のち)に川崎町に住んだ若者の返還金は町が出す時代です。若者が都市に流出する時代だからこそ、故郷で生きようとする若者を町が応援せずして何としますか。」
川崎育英会の石野博之理事長さんは、何度も町長室に来られました。
◇川崎育英会とは
育英会は、62年前の昭和38年、川崎町出身の菅原栄一氏が、東京・平和相互銀行の退職金など1000万円を寄附されたことに始まります。
当時、川崎町と東京との往来は難儀でしたが、氏の友人でもあった石野登代蔵氏らが育英会の趣旨に賛同。有志19人が発起人会を開催、様々な手続きを経て、翌39年6月、法人設立が完了するに至ります。
◇一人でも
育英会設立から61年。この間、高校生88人・大学生109人が制度の恩恵を受けることになりました。
一人でも故郷に埋もれている優秀な子弟を支援したい。設立当時の有志の思いが、現在の育英会の関係者の方々にも受け継がれています。
◇破格の寄附
改めて、菅原栄一氏は、ダムに沈んだ小松倉の生まれ。10代半ばで上京。警察官として働きますが、勉学の不足を痛感。独学で法律などを勉強し、銀行に入行します。苦労して常務取締役に昇進し、川崎町出身者を採用するなど、その故郷への思いと実行力は、誰もが驚くものでした。
60年以上前、当時1000万円という破格の金額を寄附された菅原氏。そして、その趣旨に賛同された有志の方々。ちなみに、石野博之理事長さんは、設立発起人の一人、石野登代蔵氏の孫にあたります。
◇未来に向かって
石野理事長さんが提言されたこの奨学金制度は、菅原氏の思いを後世に伝えるとともに、故郷で生きる若者を力強く応援するものです。
過去にこだわらず、未来に向かって努力すること、そのためにも学校生活で得たものを土台に、自分の幸せを掴み取ってほしいのです。
関心のある方は、すぐ左のページの事務局へ問い合わせしてください。
※事務局…公益財団法人川崎育英会事務局(公民館【電話】84-2311)
令和7年2月1日
川崎町長 小山 修作
53年前、旧秋保町立秋保中学校を卒業。本砂金学区は15人、秋保町の3つの小学校から105人。3クラスで毎年クラス替えがあり、試験の結果は上位30番まで廊下に張り出されました。中学を卒業して就職する人も少なくない時代。専門学校は珍しく、大学に進学したのは120人中3人。2人が東京の大学、私は仙台・東北学院大学の夜間部へ。昼は土木現場で働き夜は大学。給料は家に出すことなく、授業料・本代・映画代に消えます。めっちゃ本を読み、映画を観ました。多くの若者が家にお金を出す時代、自由に学ばせ、遊ばせてくれた両親に感謝しています。写真は大学卒業の時、23歳、ゼミの仲間たちと。前列の1番右が私。夜学の石坂浩二と言われた?
※写真は本紙をご覧ください。
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