◆220 甚兵衛墓(じんべえはか)
志波姫荒町地区にある甚兵衛墓、または順兵衛墓(じゅんべえはか)と呼ばれる墓地は、伊豆野堰(いずのせき)の開削と管理に深く関わった加藤氏の墓域であるとされています。
伊豆野堰は、仙台藩二代目藩主伊達忠宗(だてただむね)の新田開発政策により、当時原野だった伊豆野原を水田に変えるために造られた用水路です。
一迫清水ケ袋地区で迫川の水を分水し、築館、志波姫、若柳まで全長五里十一町(21キロメートル)に及ぶこの堰は、正保三年(1646年)に完成しました。
この伊豆野堰を掘る際に、工事の指揮を執ったのが加藤甚兵衛(かとうじんべえ)であったと伝わっています。伊豆野堰の工事は、仙台藩の土木技師である川村孫兵衛元吉(かわむらまごべえもとよし)が設計を担当し、奉行職にあった古内主膳(ふるうちしゅぜん)が、1日数千人の農民を動員して数年間かけて行われましたが、通水させようとしたところ水が流れなかったため、現場を指揮した甚兵衛がその責めを受け、牢に入れられました。
甚兵衛は、どうしたら水が流れるかを牢内で考え、伊豆野堰の途中に滝を作ることを建言して通水に成功したとされています。その後、伊豆野堰は加藤氏の管理するところとなりました。
甚兵衛の本当の名前はわかっていませんが、苦労と工夫を重ねて通水に成功した伊豆野堰は、370年を経た今も変わらず、田畑に水の恵みを送り続けています。
所在地:志波姫荒町
問い合わせ先:教育部文化財保護課
【電話】42-3515
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