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市内の文化財散策

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宮城県栗原市 クリエイティブ・コモンズ

(225) 令和5年度伊治城跡発掘調査の成果
伊治城は、古代律令政府が陸奥国(むつのくに)の経営を行うために設置した城柵の一つで、神護景雲(じんごけいうん)元年(767年)に造られました。宝亀(ほうき)11年(780年)に、上治郡大領伊治公呰麻呂(かみはりぐんたいりょうこれはりのきみあざまろ)が牡鹿郡大領道嶋大楯(おしかぐんたいりょうみちしまのおおたて)、按察使紀広純(あぜちきのひろずみ)を討った場所としても有名です。
築館町による発掘調査は、昭和62年から開始されました。伊治城跡は、儀式などを行う「政庁」が遺跡中央の南寄りに、行政の仕事を行う「内郭」がその周囲にあり、兵士などが居住した「外郭」が遺跡の全体を囲うようにして構成されていて、それぞれが区画施設(築地塀や土塁・大溝)で囲まれる三重の構造であることが判明しています。
50回目を迎えた令和5年度の発掘調査は、政庁の大きさの確認を目的に行いました。これまで政庁を区画する南辺、西辺、北辺は確認できていましたが、東辺の場所は分かっていませんでした。国道4号の東側に位置する民家の敷地を借りて発掘調査を行ったところ、溝跡を確認しました。
溝跡には約1100年前に降下した火山灰が堆積し、崩れた築地塀の土塊、宝亀11年に政庁が焼けた際のものとみられる炭化物や焼土の粒が確認できました。溝跡の確認位置から、政庁東辺に伴う遺構であるとみられます。
わずか30平方メートルに満たない小規模な調査でしたが、政庁の大きさは約60メートル四方で、平面形は正方形に近いことを確認し、重要な成果を上げることができました。

問合せ:教育部文化財保護課
【電話】42-3515

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