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自治体の皆さまへ

【特集】あなたも私も輝く場所へ(3)

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宮城県栗原市 クリエイティブ・コモンズ

■interview
一歩踏み出した だから出会えた

「知り合う前は、道ですれ違ってもお互い頭を下げるだけだった」
笑い合いながら、そう語る菅原さんと小野寺さん。二人は、熟年わんぱく塾がきっかけで、地域の大切な仲間になりました。社会参加後の自身の変化などについて、話を伺いました。

◆いつまでも私らしく輝く
小野寺 富江(おのでら とみえ)さん(若柳三田鳥)

私は、人一倍好奇心が強く、さまざまな人と交流することが大好きです。昔からの友人とのお茶飲みは、何よりも大切な時間でした。しかし、年齢を重ねるにつれ、デイサービスなどを利用し始める友人が増えたことで、その機会は減り、寂しさが募っていました。
そんなとき、自宅に届いた熟年わんぱく塾の参加者募集チラシ。新しいつながりを作ってみようかと考え始めた矢先の出来事でした。楽しそうな行事の数々に心引かれながらチラシを読み進めていくと、受講対象は65歳以上という文字が目に留まりました。当時の私の年齢は85歳。対象年齢ですが、一番若い対象者と比べたら20歳以上の年齢差になってしまいます。
「こんなに年齢を重ねた私が参加してもいいのだろうか。でも、とても楽しそう」
人と交流することが好きな私でさえ、不安と好奇心が混ざり合い、何度も何度も悩みました。ここでくじけてしまっては、新しい仲間には出会えないと自分を奮い立たせ、社会福祉協議会の若柳支所へ向かいました。
予想どおり、熟年わんぱく塾には私より一回り以上も年下の人たちが参加していました。しかし、幅広い年代がいたからこそ、多くの考えに触れ、刺激を受けることができました。今では、みんなかけがえのない大切な仲間です。新しいことに打ち込む楽しさや喜びに気付けたのは、仲間たちのおかげです。あの時、勇気を出して良かった、心からそう思っています。
私と同年代の人からはよく「人と交流するのはおっくうだ」という声が聞こえてきます。確かに、年齢を重ねると面倒に思えることが増え、一人で家にいる方が楽と思うこともあります。そんなときこそ、少しだけ踏ん張って地域に顔を出してみてください。きっとそこで、新しい仲間やいつもとは一味違う皆さん自身の姿に出会えるはずです。
私自身これからも、さまざまなことに精一杯挑戦し続けていきます。いつまでも私らしく輝くために。

◆76歳、まだまだこれから
菅原 時晴(すがわら ときはる)さん(若柳大林1)

社会の動きを止めた新型コロナウイルス感染症。母の代から営んでいる理美容院を継ぎ、その道一筋で生きてきた私にとって、この異常事態は精神的に大きな打撃でした。
そんな私の転機になったのが、熟年わんぱく塾です。コーヒー講座をはじめ、どれも体験したことのない事ばかり。毎回新鮮な気持ちで参加しました。また、初めて顔を合わせる人が多く、活動後はあちこちに友人ができました。
熟年わんぱく塾を卒業した今、かつての仲間と同窓会を立ち上げ、私は会長を務めています。イベント時などに、コーヒーを地域の皆さんに振る舞う機会もあり、おいしいという声が聞こえるとうれしく、自分も役割があるのだと実感できます。
自分が高齢者であることを実感する、後期高齢者医療被保険者証。落ち込みながら手にしたそれは、社会参加によって前向きになった今では「まだまだこれから」と、自分を奮い立たせる材料です。わんぱく精神を持ち続け、何でも楽しみながら過ごしていきます。

■新しい舞台で仲間と共に
老いは、全ての人に平等に訪れ、誰もその流れを止めることはできません。
年齢を重ねるごとに心身に訪れる変化。できないことが増えるたび感じる焦りや不安。「老いた私がいては迷惑だろう」と思い込み、自ら地域とのつながりを断ってしまう人もいます。
その感情や行動の根っこにあるのは、老いという言葉が持つ後ろ向きのイメージ。しかし、取材を通じて見えたのは、自らが輝ける人生の新しい舞台を自らの力で見つけ、「高齢者」を「幸齢者」として過ごす人たちの姿です。
今回紹介した小野寺さんと菅原さんも、老いと向き合いながら、勇気を出して社会参加を始めました。そこで出会った仲間や、地域で見つけた自らの役割は、二人の新しい生きがいとなり、前に進む原動力になっています。
社会参加をする絶好の機会は、今この時。栗原には、その歩みを後押しする頼もしい生活支援コーディネーターがいます。地域の誰もがありのまま輝ける場所が、ほら、すぐそこに。

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