(233) 城生野(じょうの)神楽 鶏舞(とりまい)
城生野神楽は、文政年間(1818~1831年)の頃に、富助(とみすけ)という人が市野々(現在の一関市萩荘)の山伏から習得したと伝わっています。中でも、代表的とされているのが「鶏舞」です。その舞は、場を清め、神々を招くものといわれています。
鶏舞では、最初に太鼓と鉦(かね)が打ち鳴らされ、その音が徐々に高まっていくと、膝をついて静止していた舞人(まいびと)たちが「センヤーハーハー、舞(まい)舞(ま)わばホー、舞(まい)をば静かに柔らかにホー」という唄に合わせて立ち上がり、軽やかに踊り始めます。華やかな鳥兜(とりかぶと)と衣装を身にまとい、手にした御幣束(おへいそく)と扇子を巧みに翻(ひるがえ)しながら激しく舞う姿は「天岩戸(あまのいわと)神話」で岩戸の前に鶏(にわとり)を集めて鳴かせ、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が踊ることで、岩戸にこもってしまった天照大神(あまてらすおおみかみ)を誘い出した様子に由来するものとされています。
鶏舞は、家内安全、身体堅固、五穀豊穣などを祈願するものとして、城生野地区の八幡神社や、その周辺の鹿島神社、白山神社で奉納される他、お祝い事や厄払いなど、数々の節目に当たる場面で披露されています。舞は、地域の人々の心のよりどころとして長年にわたり愛され、大切に受け継がれています。
種別:市指定無形民俗文化財
指定日:昭和36年11月25日
問合せ:教育部文化財保護課
【電話】42-3515
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