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(歴史探訪)源平合戦~金ヶ浜の平家落人伝説~

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宮崎県日向市

平清盛を筆頭に権勢を誇った平家一門は、文治元年(1185年)3月、壇ノ浦での戦いで源氏に敗れ、安徳天皇や平家一門の人々は海に身を投げ滅びたとされます。
一方、全国にはこの戦い後も生き延びた平家落人の伝説が残され、県内では椎葉村の那須大八郎と鶴富姫の伝説が有名です。
本市にも平家落人に関する伝説があります。安徳天皇が壇ノ浦を脱出し細島に立ち寄ったというものや、生目神社の祭神として知られる平景清の伝説も細島や平岩に残されています。また、平家の残党を追討していた那須与一と工藤祐経が富高に鶴ヶ岡八幡宮を勧請(かんじょう)し、富高八幡宮が創建されたと富高八幡宮の由来記や富高陣屋の記録である「日向国御料発端其外旧記」に記載があります。
また、この他に金ヶ浜にも次のような伝説があります。
壇ノ浦での敗戦から落ち延びた平家落人一行は、金ヶ浜までたどり着き、この地に身を隠し、永住することを決めました。この時、金ヶ浜に来た者は「平重子」と「平吉子」と言い、さらに幼い男児もいました。金ヶ浜を安住の地と定めたものの、源氏の追討は厳しく、一行は発見され男児は追討軍により殺害されてしまいます。
この後、男児や重子らの菩提を弔ってきたのが金ヶ浜の甲斐一族です。
江戸時代になると甲斐一族は供養のため石仏を建立し、現在「平吉子」と刻まれた1体が残されています。もう1体、石仏が残されているのですが、名前や年代も風化して読み取ることができなくなっています。こちらには「平重子」と刻まれていたのかもしれません。

問い合わせ:教育総務課文化財係
【電話】66・1036

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